松本清張が各界の巨人たちの本音に迫った伝説の対談連載が、昭和100年の節目に『清張が聞く! 一九六八年の松本清張対談』として初めて書籍化されました。明治100年にあたる1968年に、月刊「文藝春秋」で1年間にわたり掲載されたこの企画は、これまで一冊にまとまることなく、ファンの間では知る人ぞ知る存在でした。

 なぜこの貴重な対談は、半世紀以上もの間、書籍化されなかったのか。そして、なぜ今よみがえったのか。本書の編集を担当した臼井良子と、長年、松本清張作品の編集に携わり、松本清張記念館の仕事も手伝う田中光子が、刊行のいきさつから制作裏話、そして昭和という時代を駆け抜けた巨匠の素顔まで、本の話ポッドキャストで熱く語り合いました。そのダイジェスト版をお届けします。

『清張が聞く! 一九六八年の松本清張対談』

伝説の連載、なぜ今まで書籍化されなかったのか

臼井:私がこの対談連載を発見したのは、2019年に『みうらじゅんの松本清張ファンブック 清張地獄八景』というムックの編集を担当したのがきっかけでした。文春の資料室で過去の雑誌を調べている中で、1968年に清張先生が月刊「文藝春秋」で1年間、対談を連載されていたことを見つけたんです。

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田中『清張地獄八景』は、みうらさんの卓抜な清張論はもちろん、直子夫人へのインタビューや朝日新聞社時代の同僚の回想、清張先生自身が描いたイラストまで集めた、すごく中身の濃い本でした。みうらさんが描かれた「見とるぞ、見とるぞ……」と人の心の闇をのぞき込む清張先生の似顔絵、最高です!

『清張地獄八景』は文庫化もされている

臼井:清張対談の記事は、ムックにはボリュームの都合で収録できなかったのですが、コピーだけは机にしまっていました。それが今年の初夏、なぜか呼ばれたかのように引き出しから出てきたので読み返してみたら、ものすごく面白くて。東久邇稔彦さんとの対談に「天皇機関説」の話が出てきたと思ったら、そのあとに、当時の東京都知事で、「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉さんの息子さんである美濃部亮吉さんが登場して当時の様子を語るなど、話の展開がまるで伏線回収のようで、ページをめくる手が止まりませんでした。読み進めるうちに、桑原武夫さんとの対談で「『明治百年』を利用する人」という小見出しが出てきて、「え!?  この連載対談が行われたのは明治100年だったの?」と。ちょうど今年が昭和100年、戦後80年という節目で、メディアが盛り上がっている状況と重なり、「これは昭和100年の今年中に、書籍化しなくては」と強く思ったんです。それで慌てて企画を会議に出して、通ったとわかった瞬間、光子さんのところに飛んで行きました。

田中:その話を聞いた時は、「その手があったんだ!」と嬉しくなりました。私もこの対談連載の存在はもちろん知っていました。清張先生が亡くなった後、年譜の確認作業などで何度も目にしていましたから。でも、なぜか単行本になっていなかった。

臼井:そうだったんですね。

 

田中:おそらくですが、「文藝春秋」の先輩編集者たちは、「今月も面白い雑誌を作るぞ」ということに全力を注いでいたんだと思います。清張先生ご自身も亡くなる直前まで仕事を続けられていたので、歴代の担当者も、その時々の小説を本にすることに懸命で、過去の対談を書籍化するという意識が少し抜け落ちていたのかもしれません。私も気づかなかったことを、今になって反省しています。

臼井:いえいえ。「この連載は書籍にしてくれるな」という清張さんからのNG案件だったらどうしよう……と思ったのですが、光子さんに松本清張記念館初代館長の藤井康栄さんや松本家に書籍化の件を確認してもらったところ、NGではなかったこともわかり、ご快諾いただけて。今回こうして本にすることができて本当に良かったです。今読んでも全く古びていないし、むしろ昭和100年の今だからこそ読む意味がある内容だと思います。