自然と人工物の境界線が見える「旧鞍崎隧道」
アスファルト舗装されていたはずの道路上に草木が生い茂り、路面が全く見えない。
そして、野原の先の山肌に、ぽっかりと口が開いていた。
目指していた旧鞍崎隧道(隧道=トンネルのこと)だ。アスファルト舗装された道路であっても、使われなくなると瞬く間に自然に還ってゆく。ここ能登では、それに震災も寄与している。自然と人工物の境界線が見えるのも、廃道の魅力といえるだろう。
宿の食堂にかかる土嚢袋ののれんに書かれた文字は…
旧鞍崎隧道を堪能したところで珠洲市の中心部まで引き返し、鵜飼漁港の近くにある民宿に向かった。鵜飼漁港といえば津波の被害が大きく、震災後に取材で訪れた地域でもあった。押し流されてきた瓦礫や自動車が積み重なっていた光景を、今でも鮮明に覚えている。
その地で営業している民宿があることを知り、泊まってみたいと思った。
案内された部屋の壁には大きなヒビが入り、食堂の天井板が抜け落ちているなど、震災の爪痕が色濃く残っていた。
夕食のおでんを食べながらビールで乾杯し、旅の1日目を終えた。
翌朝、食堂で朝食をいただいていると、ふと暖簾に目が止まった。よく見ると、垂れ下がっているのは土嚢袋だ。
そこに手書きで「いつか一緒に桜の花を見ましょう」と書かれている。震災時に訪れた大阪のボランティア団体が残していったもののようだ。震災当時の状況を私も見ているだけに、とても心に残るメッセージとなった。
応急処置と仮復旧は進むも本格的な復旧は…
出発前に、宿の周辺を少し歩いた。震災後、道路を塞いでいた瓦礫は撤去され、倒壊した家々はことごとく空き地になっていた。
その一方で、橋は通行止めのままで、多くの電柱は傾いた状態のまま使われている。倒壊した電柱も、そのままだ。
液状化で飛び出していたマンホールは応急処置が施されていたが、通行に支障の無い場所にあるマンホールは手つかずのままだった。
橋などの大きな構造物は仕方が無いとしても、電力や道路などのインフラはほとんど仮復旧を終え使えるようになっている。
しかし、それ以上の本格的な復旧までは手が回っていないのが現状だろう。
能登町 九十九湾の遊歩道は…想像以上にアグレッシブ
宿を出発して最初に向かったのが、能登町の九十九湾にある遊歩道だ。
海の生物と触れ合える探勝歩道として紹介されており、気になっていた。魚の形をした車止めと風見鶏が出迎えてくれて、気分が高まる。
海辺から海に突き出すようにして、その遊歩道はあった。海の上に飛び石のように点々とコンクリートの柱が設置されており、その上をピョンピョンと跨いで歩いてゆく。
時おり高い波が来ると、柱の上までしぶきが達する。場所によっては、思いきり波に洗われている歩道もあった。
想像していた以上に強制的に磯と触れ合える遊歩道だった。
ただ、夏場に訪れれば波は穏やかだろうし、波が多少かかったとしてもダメージが少ない。オフシーズンの冬場に訪れるからリスクが増すのだが、緊張感を味わいたい方はぜひ冬場に訪れていただきたい。





















