アクセスが容易ではない地形が「作業の遅れ」の言い訳としてよく使われてきたが…

 能登は半島という地形でアクセスが容易ではないことが、作業の遅れについての言い訳としてよく使われてきた。しかし、過去にもアクセスが容易ではない場所で災害は発生している。復旧・復興の第一歩は、作業員が寝泊まりできる飯場等の拠点づくりから始まるが、能登半島地震の場合、拠点づくりが1年近く進まず、遠方から作業員が通う必要があり、復旧・復興が進まない状況が続いていたというのが私の見解だ。

 だが、私は能登の復旧・復興が遅いとは考えていない。早いか遅いかと問われると、私は「普通」と答えるだろう。阪神淡路大震災では、大動脈であるJR東海道・山陽本線が原型を留めないまでに破壊された。特に被害の大きかった六甲道駅周辺では高架橋がことごとく倒壊し、復旧に2年はかかると言われていた。それを民間企業の作業員たちが24時間体制の突貫作戦を決行し、わずか2か月半で復旧させた。これは今でも“六甲道の奇跡”として語り継がれている。

 同じようなことが、東日本大震災の現場でも起こっていた。しかし今の能登は、2年はかかるといわれている作業を2年かけて行っている。だから、普通ということになるだろう。

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超法規的な決断よりもマニュアル化が求められる時代に

 過去に超特急で行われていた復旧・復興作戦は、大きなリスクも伴っていた。民間企業の作業員たちが、余震が襲うと死ぬかもしれない命がけの状況下で、不眠不休で作業を続けていたことは珍しいことではない。東日本大震災でも、津波警報が発令されているなか、地元の土建屋さんたちが瓦礫を撤去し、救助隊を被災地に導いた。また、民間と行政の境界線などの諸問題を飛び越え、超法規的な決断により様々なことが即時行われていた。こうしたことが、今はできない時代になった。

 プロフェッショナルの勘や経験に基づく判断よりも、マニュアル化、標準化された安全確保を要求されるようになっているのだ。すると、どうしても時間がかかる。超法規的な決断には責任が伴うため、その時の責任者の違いによっても結果は大きく変わってくる。

 復旧や復興に関しては、もう時代の流れとして仕方のない部分もある。しかし、人命が懸かっていれば話は別だ。能登半島地震の発災直後の対応については、事前に策定すべき計画が策定されていなかったり、救助活動の初動を民間のボランティア団体が担わざるを得なかったりと、政治と行政にとっては反省の大きい災害だったと思う。被害に遭われた方に報いるためにも、せめて教訓を今後に活かしてほしい。

食堂にかかっていた土嚢袋ののれんに書かれたメッセージ

 鵜飼漁港の近くにある民宿で目にした土嚢袋に書かれていた「いつか一緒に桜の花を見ましょう」のメッセージ。

 少しでも早くその時が訪れてほしいと、心から願っている。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。