昭和46年、雄琴のソープランド1号店がオープン
おごと温泉駅から、車で県道558号線を南へ進むと、建物がまばらに立つ田園風景が続き、琵琶湖に突き出た突端のような土地までくると、こつ然とゲートが現れる。奥にはお城のような現実感のない建物が密集している。くぐって進むとそこは一大ソープランド街なのだ。だが、放棄されている建物もあるようだ。
「そう、廃墟にまでなってしまっているところは、あとは駐車場にでもなるしかないです」
数十年の歴史を持つある店の関係者はため息をついた。彼をA氏とする。A氏は街の歴史について口を開く。
「田守さん。彼がこの一角を作ったんですよ。たしか北陸やったかな。そっちの新地で商売をされ、ホテル経営などもされて、財を成した方です」
雄琴の色街の仕掛け人といわれる実業家、田守世四郎氏を指している。「新地」とは、遊郭由来の遊興地を言っている。田守氏が昭和46年に、ソープランド(当時はトルコ風呂)1号店『花影』を開業した(昭和44年開業の『歌麿』を1号店とする資料もある)。その経緯については後述する。
「従業員女性は800人を越え、1日3000人の客が訪れた」雄琴ソープの最盛期
さて、最盛期ごろの雑誌記事(「週刊朝日」1974年5月3日号)には、昭和49年時点でここに31軒のソープが並び、総部屋数600室を誇り、従業員女性は800人を越え、1日3000人の客が訪れたとある。現在、滋賀県特殊浴場協会の公式サイトによれば今も29店舗が営業中であり、店舗数は維持され、表面的には賑わいは続いているように見える。
だがここ30年の変遷を現場で見てきたA氏は、昔と今で相当の違いを感じていた。
「(来店数は)ぜんぜん違う。年末なんかね、大渋滞して車がゲート内にも入れない時代だってあったからね。もう、いまは、全く……」
往時の賑わいについては、冒頭の元トルコ嬢の証言と一致する。現役嬢にも話を聞くことができた。

