「そう。私も働きはじめたころは、1週間前に予約がぜんぶ埋まってたくらいだから」

 結婚・出産を経て20年以上にわたって、今も雄琴ソープで働くB子は続ける。

「昔は女の子が足らんかったぐらいやから。今は逆やからね」

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表面的には賑わいは続いているように見えるが…(筆者撮影)

「借金で女性を縛って、その身を仲介役として店側に売る」雄琴にやってくる女性たちの境遇

 20余年前は、どんな境遇で雄琴にやってくる女性たちが多かったのだろうか。

「そのころ、先輩のお姉さんたちにお話きいてたら、ヒモ飼ってはる人が多かった」

 これは筆者が昭和期の色街の話を聞くときも、最もよく出た「女性供給ルート」である。ヒモの男が女性をあっせんするのである。「飼う」、と表現しているが実質は逆だ。ヒモの男は生活費を女性からもらい、飼われているように見えながら、実際は彼女を精神的に縛って君臨、寄生し、搾取し続けるのである。

「ヒモに店からカネを払っていたところもあるくらい。昔の雄琴を『ソープの墓場』という人もいた」

写真はイメージ ©maruco/イメージマート

 A氏も同意する。立地がわるく陸の孤島のような雄琴の色街へ流れてくることを、墓場、と揶揄する人もいたのだった。女性たちの給料を、あっせん役の男に支払っている場合さえあった。男たちは多くの場合、堅気ではなかった。ヒモは、れっきとした彼らのシノギのひとつなのだった。

「昔は『スカウト』も盛んやったけど、もう長いこと一切うちは使っていない。まあ、人身売買やからね」

「スカウト」と横文字で小綺麗に言おうとも、実質は女衒(ぜげん)。前述のヒモと大差はない。借金で女性を縛って、その身を仲介役として店側に売る。むろん、背後には反社会的組織の存在があった。こうした人々による「女性供給ルート」は制度化され、確固とした歯車に組み込まれることで、色街は日々回転していた。

 だが、街も人もすべてを悪とみなすと見誤る。自由意志で働き、家族や子供を養った人々もいる。B子がそうだ。――墓場、とまで言われた遊興街を選んだ理由は?