「高級店は避妊具を使用しないことを売りにしていたが…」女性が雄琴で働くことを選んだワケ

「金津園も福原も、高級店は、生。でも昔も今も、雄琴は着用です。だから私は雄琴がよかったんです。ここは働きやすいし」

 中部地方最大規模の色街・金津園、神戸のソープ街・福原も、高級店は避妊具を使用しないことを売りにしていた一方、雄琴はそうではなかった。雄琴を好んで働く女性たちも同時期に大勢いたことも記憶にとどめたい。

最盛期には、800人の女性が雄琴のソープランドで働いていたそう(筆者撮影)

 歯車は、ゲートの中ばかりでなく、外側の人々も回していた。

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「『リベート』っていうて、キックバックもありましたから。だって、私自身、昔は温泉ホテルまでお客を迎えにいきましたよ。1日で同じ宿に4台も5台も車を出して迎えに行ったこともあります。もう今、一切ないですけどね」(A氏)

 やはり、温泉宿と連携していた時代があった。

制度化されていた旅館からソープへのリベート

 旅館スタッフが、ソープに一人客を紹介するたびに店側から謝礼が支払われていた。リベートの額も明確に設定されており、やはり制度化されていた。ソープ側スタッフが温泉宿との送迎をするのも常で、ソープ街の路地には、色々な宿の名の入った浴衣を着た男たちがそぞろ歩きする姿が日々見られた。

 客はおもに、京阪神エリアの人々。京都にソープランドはない。A氏は、押し付けがましさは少しもみせずに、温泉地や周辺事業の人々にとって、自分たちソープ側からの恩恵は大いにあったはずだと、さらりと言う。

「(雄琴温泉は)大昔からの湯治場ではあったでしょう。でも、戦後は不況なところもあったらしいんですよ。それが、ソープが来てから持ち直したってこともあったと思うんです」

派手なネオン看板を掲げる店が並び、街もまだギラついてみえる(筆者撮影)

 ところが蜜月関係は、今はまったくない。なぜなのだろう。ソープ側からだけみては、その理由は分からない。温泉地からの視線も重ねて見てみよう。

――ということで、温泉宿の人々への取材交渉を試みた。色街の人々への取材交渉も難航したのだが、たった数百メートル先にある温泉街への交渉は、数段難航した。しかし最後に、しかも戦後以来のこの温泉地の変遷をみてきた温泉街の中心的人物、C氏に話を聞くことができた。彼の第一声で、難航の理由は明白だった。

「みんな死ぬ思いで耐えてきて、ようやくそのイメージから脱却できたのに、なぜこんな話をむし返すの?」

次の記事に続く 「今は外国人経営の店が増えている」1日3000人の風俗客が訪れた滋賀県の“ナゾの歓楽街”「雄琴」が、“色街”として衰退していった本当の理由

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。