「若い子はお金もないし、草食男子になってきたでしょう」色街としての雄琴が衰退したワケ
温泉街、色街が一体化していたといっていいほどの一時代があった。だが、蜜月は崩れる――色街が衰微してきた。A氏は、ここ十数年ほどが顕著と言う。
「昔は情報もないし、まあピンサロはあったけれども、遊びといえばソープランドやったんです。いまは、ネットがあるから、ソープランド以外もデリヘル、ヘルスも選べるし、マッチングアプリとか出会い系もあるでしょう。まああと、若い子はお金もないし、草食男子になってきたでしょう」
衰退の理由に、性風俗店の業態が多様化したこと、男性客のモチベーションの変化、情報過多、貧困化をあげるが、これは筆者がどの色街で聞いても似た意見である。
まずそもそもが、憂さを晴らす選択肢が、「色」以外に多様になった。複合的な理由でソープランドは衰微していっている。この動きにあわせ、近年、経営側も「変わってきている」とA氏。
「昔は在日の方、華僑の方が多かったけど、だいぶ高齢化しているし、2代目、3代目となってきて、店を売ってしまう方もいます。入れ替わるように、いまはまた新しく外国人の経営が増えているんですよ」
飲食店、不動産、金融など多角経営をしていた経営者たちがかつては多かったそうだが、高齢化と代替わりによって、売られる店が増え、新たに外国人経営者も入ってきている。田守氏の店も、孫の代にとうに売却されている。
それでも今も店舗数は維持され、派手なネオン看板を掲げる店が並び、街もまだギラついてみえるのは、経営が移って改装する際、勢いを失った日本人実業家たちと比べ、外国資本の経営者たちは桁違いにカネをかけるからのようだ。雄琴に限らず、全国各地に店舗を持つことで、利益を出しているらしい。
温泉街が「死ぬ思いで耐えた」時期
余談になるが、今、ソープランドの新築はまず許されない。新たに参入する事業者は、元から経営している会社ごと買う形をとる。役員を入れ替え、建物は、元の柱1本をのこして改装する。
京阪神地区では、阪神・淡路大震災後、耐震補強の名目で改築しやすくなったとの話もあったが、それでも新築は難しい。東京・吉原などでは、ほんのわずかな改装でも保健所に図面を提出し、少しでも違ったふうに手を入れることも許されないと経営者たちは言っていたが、東西では、西のほうが少しゆるいのかもしれない。
雄琴では、色街側が古い建物で営業を続ける一方、温泉街側は、色街の出現から現在までに、3度から4度も全面リニューアルした宿も多いという。明暗は顕著である。だが温泉地側も苦しい時代があった。
ソープ出現によってファミリー層が来なくなったところへ、色街の客足までもがにぶってくると、温泉地は一転、どん底へと落ちていく。「バブル崩壊の少しあとくらいのこと」とC氏はいう。前述の「死ぬ思いで耐えた」時期である。

