「私が爆弾犯の妻だったってバレたらどうしよう」書籍の出版に対する両親の反応

――本を出すにあたって、ご両親には相談されたのですか。

梶原 それぞれにノートを渡して、思い出したことを何でもいいから書き留めてもらうようにお願いしました。「これだけ迷惑をかけられたんだから、そのくらいは協力してくれないと困る」と言って。二人とも、すごく協力的でどんどん思い出を書き出してくれました。

――自分たちのことが世に出て、ご両親はどんな反応を。

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梶原 今、伊豆の田舎でひっそり暮らしているので、「この本が売れすぎて、近所の○○ちゃんママに私が爆弾犯の妻だったってバレたらどうしよう」と母は心配していました。父も「デイサービスのリハビリの先生に優しくしてもらえなくなるかもしれない」と(笑)。

 

――そもそも、このタイミングでご自身の出自を公表しようと思われたのはなぜでしょう。

梶原 もともと、自分の子ども時代の話を、自分のことだというのを伏せたまま映画にしたいとずっと考えていました。そんな中、桐島聡の事件を題材にした映画『桐島です』の脚本を私が書くことになったんです。

 監督の高橋伴明さんから「おまえは逃亡生活を経験しているんだから、おまえが書けば桐島の空白の50年に説得力が生まれる」と言われて。そのタイミングで、この本のお話もいただいたんです。「もう50歳を過ぎたし、いいかな」って。

「あいつの親父は爆弾犯なんだから」梶原さんの生い立ちを勝手に言いふらされたことも…

――それまでは、公表することが危ういと感じていた。

梶原 何か言われるのがイヤでした。それに、私の出自を知っている一部の人から、アウティングされることもあったんです。

 幡ヶ谷のバス停殺人事件を下敷きにした『夜明けまでバス停で』で、いろいろな映画賞で脚本賞をいただいたんですけど、爆弾の作り方を知っているホームレスを登場させているんですよ。そこを突いて「あいつの親父は爆弾犯なんだから、書けて当たり前だ」と言いふらす人がいたり。

 その前にも「バラされたくなかったら」って、お金を要求する人もいて。フル無視しましたけど。

――出版後、世間の反応はいかがでしたか。

梶原 もっとひどいことを言われるかと覚悟していましたが、思ったよりは批判的な声は少なかったです。もちろん、ネットニュースのコメント欄などで心ないことを書かれることもありますが、直接何か言ってくる人はいません。むしろ、この本をきっかけに、40年ぶりに連絡をくれた旧友もいたくらいで。

 

――ご自身の出自について、今でも悩んだり、「加害者の家族」という負い目を感じたりすることはありますか。

梶原 それは、もうありません。変えられない過去のことを考えても時間がもったいない。私は結構、合理的なんです。過去は変えられないけれど、今と未来は選べますから。

 ありがたいことに本が売れているので、もう元は取ったかなと。あ、いやまだまだですね。最低でも10万部は売れて、Netflixでドラマ化されて、NHKの朝ドラになって、ジブリでアニメ化されるくらいで、やっと元が取れます(笑)。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

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