楼主と女将が取っ組み合い

 二本木でも庶民的な店が集まっていた牙山口のある妓楼に夫が通い詰めていることを知った妻が、夫の後をつけて店の出口で待ち伏せをした。妻は店から出てくる夫の胸倉を摑み、そのまま白川の土手まで夫を引っ張ってゆき土下座をさせた。だがそれでも怒りは収まらず、地べたに何度も打ちつけた。ついには警察が出勤して仲裁する騒ぎとなった(「九州日日新聞」明治32年〈1899〉9月22日)。

 また、ある妓楼の楼主は別の店の娼妓に入れあげていたが、彼女が病を得て駆黴院(編集部注:明治時代に遊廓の娼妓を対象に、性病検査、治療を行っていた病院)に入院してしまった。入院した日から、娼妓の顔見たさに見舞いに出かけ、板塀越しに中を窺っていたところ、背中から女の怒声がする。振り返ると、逆上した妻が仁王立ちになっていた。怒り心頭の妻は楼主である夫の顔に泥を投げつけた。夫も拳を振り上げたが、怪力の持ち主だった妻は夫の顔や腕を爪で引っかき、路上で激しい取っ組み合いになった。

「お前という亭主はなあ、ええ加減にせんかあ!」

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 という怒鳴り声を耳にして集まった人々が二人を引き離したという(「九州日日新聞」明治33年〈1900〉10月2日)。

 一方、娼妓の楽しみの一つが食べることだった。人気のある娼妓を除き、供される日常の食事は貧しいものだった。同じおかずが三日続くのもざらだった。

 蓮台寺のそばに、農家のおばあさんがリヤカーで野菜を売りに来ていた。娼妓が二階の窓から、竹の皮で作った籠を吊す。そこには惣菜の代金が入っている。おばあさんは金を受け取ると、そこに惣菜を入れる。娼妓たちはそれを引き上げる。前述の林は、親戚の髪結いから、娼妓がよく苦労話をこぼしに来たと話していたのを覚えている。

 同情した親戚の髪結いはおかずになる物を渡し、「これば食べなっせ。隠しておいて、店の人がおんなさらんときに食べたらよか」と声をかけたという。

「後に、とても美味しかったと言って、わんわん泣いていました」

 あるときは親戚の髪結いが出したお茶をとても美味しそうに飲み、しみじみと言った。

「お師匠さん、こがん美味しかお茶は飲んだこつはなか」

 それを聞いた親戚の髪結いは、妓楼ではどんな粗末なお茶を飲ませているのだろうと哀れに思い、「お茶はどれしこでん(どれだけでも)あるけん、小便ばしかぶる(お漏らしする)まで飲みなっせ」と慰めた。髪を結いに来た娼妓が、「ちょっと横にならせてね」と休んでいくこともあったらしい。