1980年、山口百恵さんが引退して4年後に長男・祐太朗が誕生。まだまだ「百恵伝説」冷めやらぬなか、報道が過熱。「百恵番」と呼ばれる記者が突撃することも多かった。
長男の入園式でカメラマンに「ビンタ事件」も…
1989年4月にはこんな事件が起こった。当時4歳だった祐太朗の、幼稚園の入園式。家族が車で式に向かう途中、信号のタイミングで、手柄を急ぐカメラマンたちに囲まれてしまったのだ。
阻止しようと三浦友和がドアを開けると、カメラを母子に向けて連写。友和とカメラマンの押し問答になったが、それでも収まらず、百恵さんも車外に出て、たまらず子どもを守るためカメラマンに平手打ちするまでになってしまったという。
「『やめて下さい! なんだと思っているんですか! 子供が怖がっているんです。やめてって、言ったでしょ!』
そう言うや、百恵さんの平手はカメラマンの頬を捉えていた」(山川敦司氏「アサ芸プラス」2022年5月28日)
騒動が大きくなり、親子は入園式を欠席。当然のことながら批難はマスコミ側に集中し、取材のあり方が問われた。次男・貴大の入園式はトラブルもなく、無事参加することができたという。
入園式に行けなかった三浦祐太朗も、現在41歳。百恵さんの歌の才能だけでなく、ステージに立ち、歌を届けるという「覚悟」も受け継いでいるのだろう、と感じるアーティストとなっている。ライブで山口百恵の歌を歌うその声は、MCでの「のんびり好青年」とは別人のように激しく深く、ちょっと怖いほどである。
「青い性路線」と「まごころ」
山口百恵がここまで伝説化・神格化されているのは、潔い生き方はもちろんだが、やはり突出した才能ゆえ。彼女のステージでは、「山口百恵」本人ともう一人、強い意志を持つ楽曲の主人公、両方が生きていた。
その成長の過程も一筋縄ではない。デビュー曲「としごろ」はパッとしなかったものの、2曲目の「青い果実」からグッと個性が際立ち、大ヒット。というのも、「あなたが望むなら 私なにをされてもいいわ」(作詞:千家和也、作曲:都倉俊一)という、14歳だった百恵さんが歌うには、あまりにも早熟な内容だったからだ。中学生に性を連想させる歌を歌わせるなど現代ではほとんど考えられないが、当時としては売れるための「戦略」の一つ。世間では「青い性路線」と揶揄された。
「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」(作詞:千家和也、作曲:都倉俊一)という歌詞から始まる「ひと夏の経験」リリース時には、「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問する取材陣が数多いたが、百恵さんが「まごころです」と答えたのは有名な話だ。

