2025年夏に開催された、山口百恵作品をフルオーケストラで演奏する「西本智実『ノスタルジー』with三浦祐太朗-山口百恵名曲集2025-」では、「青い果実」もセットリストに並んでいた。

 きわどい言葉のなかに秘めた、まごころ、募る恋心も歌い継がれていく。

百恵自身が作りあげた「チーム百恵」

 山口百恵というブランドが確立された楽曲といえば、やはり1976年の「横須賀ストーリー」だろう。ここから百恵さんのヒット伴走人となるのが、作詞阿木燿子・作曲宇崎竜童コンビ。実は彼らの起用は、百恵本人の要望だった。あとからそれをマネージャーに聞かされた宇崎もこれには驚いたようで、インタビューでこう回想している。

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「マネージャーの方もすごいですよね。17才のアイドルが『あの人たちに曲を書いてほしい』と言って、『OKわかった』と承諾するなんて、当時ではあり得ないですから」(「Real Sound」2024年10月20日)

 宇崎竜童・阿木燿子といった作詞・作曲家だけではない。彼女は「ただ歌って終わり」ではなく、ぬくもりのある自分のステージを作るため、照明、演出、音響、すべてにおいて、気兼ねなくディスカッションできるスタッフを求めた。10代のアイドルが、所属会社に申し出て、自身の気持ちを汲んでくれる人を集め、「山口百恵プロジェクト」を作り上げたのである。異例中の異例のことだった。

©文藝春秋

 だからこそ彼女のパフォーマンスは毎回歌だけでなく、一つのドラマを感じることができたのだろう。

18歳での結婚ソング「秋桜」

 この「横須賀ストーリー」で、彼女は大人のアーティストにイメージチェンジが成功。その後、「イミテイション・ゴールド」や「プレイバックPart2」「絶体絶命」などで唯一無二のポジションを確立し、引退の1980年まで大ヒットを飛ばし続けるのである。

 その華麗なるディスコグラフィーの中に、1977年、早くも山口百恵さんの引退を予言したような歌が一曲ある。さだまさしが作詞・作曲した「秋桜」だ。次の日嫁ぐ娘が母を思う名バラードである。

 とはいえ、その一つ前のシングルは、強い女性路線の「イミテイション・ゴールド」。そして当時百恵さんはまだ18歳、友和との恋愛が噂になる前だ。なのに、さだまさしは、なぜ早くも彼女に結婚ソングを書こうと思ったのか。

 山口百恵自身もまだ、

「百恵ちゃんにはピンとこない曲でしょ」

 というさだの言葉に、

「はい。実感が湧かないんです。だから上手に歌えないんです。すいません」

 と返したという。実は当時からさだは、山口百恵を見て「芸能界にあまり長くいない人」と予感していたそうだ。それが「秋桜」の楽曲のイメージへとつながったという。