引退コンサート当日、山口百恵からのメッセージ

 そして3年後、山口百恵は、その予感の通り結婚し引退の道を決意。1980年10月5日、日本武道館で引退コンサートを行ったのだった。

 同じ日、大阪でコンサートを終えたさだまさしは、山口百恵からのメッセージをホテルで受け取った。そこには、こう記されていたという。

「さださんがこの歌を作ってくれた意味がやっと分かる日が来ました。本当に、本当にありがとうございました。山口百恵」

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山口百恵さん ©文藝春秋

 逆に、山口百恵に対する「予感」をことごとく外した人物がいた。作詞家の阿久悠である。彼は、百恵さんが芸能界入りを決めた1972年12月「スター誕生!」第5回決戦会場の審査員席にもいた。そして歌い終わった彼女に「ドラマの妹役ならなれる」と評したのだった。

 前の回でグランプリを獲得していた、桜田淳子さんの存在も関係していた。太陽のように明るい華を持った彼女と百恵さんを比較し、「暗めの淳子(桜田淳子)がいますよ」と言うスタッフもいたという。阿久は著書『夢を食った男たち』(文春文庫)で当時を振り返り、

「その個性の中で考えると、二番目の不利、鮮度を失って見られるのも、無理はなかった」と書いている。書いているのだが、阿久が百恵さんについて記したページは丸ごと、百恵さんに対しても、当時の自分自身にも、どこか言い訳っぽい書き方となっている。逸材をみすみす見逃したバツの悪さや後悔のようなものが感じられて、興味深い。

 結局阿久悠は、山口百恵の楽曲を一曲も書くことはなかった。それどころか、その後各賞レースでは、阿久悠楽曲を歌う歌手――ピンク・レディーや沢田研二と、山口百恵が競うはめになる。そして毎回、阿久の作品を歌う歌手が勝利し、山口百恵は賞を逃した。しかし、敗者であるはずの山口百恵が去るその姿を見て、阿久悠は心の底から喜べなかった。それどころか、「ぼくはステージ上で笑顔をこわばらせたことがある」「受賞者を道化にしてしまうくらいの、強烈な矜持の証明」とまで記すのである。

 また、後年「スター誕生!」一行でハワイに行った際には、飛行機で7時間、姿勢を崩さず文庫本を読む山口百恵に感心し、

「大スターの矜持が見えていて、とても早々に結婚して引退するタイプとは思えず、そこでもまた不明であった」

 としている。

 時代の空気と流行を鋭いアンテナで捉え、驚異的な数の大ヒットを生んだ阿久が、百恵に関してはなぜここまで読み間違えたのか。ちょっと不思議である。

2人の息子は芸能界入り

 百恵さんが引退し、40年経った今では、それらも70年代歌謡界においての華やかな1ページである。

 時代は変わり、その後三浦友和と百恵夫婦の2人の息子はともに芸能界入り。次男の貴大は俳優として活躍している。2025年、実写邦画興行成績の記録を22年ぶりに塗り替えた話題作『国宝』では、竹野役を好演。2026年4月から放送されるNHKの連続テレビ小説「風、薫る」の出演も決まっている。彼が出れば、物語が大きく動く。そんなキーパーソンを演じることが多いことが、高い評価と信頼を得ている証拠だろう。