1970年代までは問屋が軒を連ねていた

 また、駅前から鍛冶町通りを渡った北側には、背の高いビルが何本も並んでいる。アクトタワーほどではないにせよ、充分に存在感のある高層ビル群。

 

 ここはもともと繊維問屋が軒を連ねていた一角だ。浜松は古くから繊維産業も盛んな町で、全盛期には60軒ほどの繊維問屋があったという。

 繊維問屋は1970年頃には市南部の浜松バイパス近くに移転した。ちょうどその頃には新幹線の開業や東海道本線の高架化に伴って浜松駅も少し南の現在地にお引っ越し。

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 再開発は思うようには進まなかったようだが、アクトタワーは90年代に完成し、問屋街跡地も2000年代に入ってようやく進展して現在の浜松駅前が形作られた。

 

昭和の匂いがする商店街

 駅の南側は、北側ほどの繁華街といった趣はないものの、こちらはこちらで市街地が続く。駅前大通り沿いにはホテルや商業施設が建ち並び、砂山銀座やそれに続くサザンクロス商店街のアーケードなどには、往年の活気がしのばれる。

 
 

 駅前から少し南に進んだ先で南東に分かれている道の名は、「河合楽器通り」という。その名の通り、この道を進んでいけば河合楽器製作所。浜松は他にもヤマハやローランドといった日本を代表する楽器メーカーの発祥の地だ。

 

 楽器の町、つまり“楽都”としてはこんなエピソードもある。戦後、市民の間でハーモニカが広まり、ヤマハのハーモニカバンドなどが結成される。そうした中で、1949年には浜松駅のホームで駅弁ならぬハーモニカの立ち売りをする“ハーモニカ娘”が登場。復興から経済成長期における浜松駅のシンボルになっていたという。