タワマンエリアの子育て事情とネオ・ネグレクト
一方で、この習い事戦略をしっかりと組み立てられずにいると、結果として子どもたちは放置されることになってしまい、これまでもいくつかの事例を挙げてきたが、何かしらの問題を引き起こしてしまうことだってあるのだ。
わたしは本書を執筆する以前は、日々習い事漬けになっている子どもたちは、親が自身の時間を確保したいがために犠牲となっていると決めつけていた。つまり、ネオ・ネグレクトの典型的な事例であると考えていたのである。
しかし、そうとは限らない。
わたしは仕事柄小学生の子どもたちと日々接しているが、彼ら彼女らはとにかく元気である。塾の授業の最中はもちろん席に座って集中してこちらの説明に耳を傾けているけれど、それ以外の時間は常に動いていないと心臓が止まってしまうのではないかと思ってしまうくらいに、あっちへこっちへと移動している。
子どもたちが退屈する時間を生み出してしまうこと、それ自体が罪深いことなのかもしれない。
だから、共働きでなかなかわが子に目を向けることのできない親が、わが子が生き生きと活動できる場を意識的に設けていく。その結果として、傍から見ると習い事漬けのように感じられるケースがあるということだ。これをネオ・ネグレクトの一つであると断ずるのはあまりに乱暴だろう。
ここでは東京湾岸のタワマン密集エリアの子育て事情とそこで観察されるネオ・ネグレクトについて述べた。
わたしの経営する塾は世田谷区と港区にあるが、港区にある校舎に通う塾生たちの半数近くがタワマンで暮らしている。
そして、その保護者たちの大半は、仕事で忙しい日々を送っているものの、わが子に愛情を持って接しているし、塾にわが子を預けっぱなしであとは放置している……なんてことはない。塾の保護者会や個別面談会などでそれらの保護者とたびたび顔を合わせるが、聡明な人たちが多いと感じている。
しかし、ネオ・ネグレクトの取材をしていると、このタワマンエリアのエピソードが多く耳に入ってくる。
私見ではあるが、多くの共働き世帯が密集しているということだけではなく、先述したようにタワマン内の共同体が構築されているがゆえに、様子のおかしい子どもたちについての情報を即座に共有しやすい環境だからではないか。個々の家庭の問題に周囲が気づきやすい……タワマンエリアにはそうした特性があるのかもしれない。
ネオ・ネグレクトは局所的に観察される現象ではなく、広域的に見られるのだ。