“芸者たちの境遇”に耳を傾けていた
一方で、芸妓については触れている。宴会などに招かれた際、お座敷に上がる芸者たちと接する機会はあったはずだ。八雲は彼女たちから熱心に話を聞いていたと考えられる。
そうして得た情報を、八雲は日本で書いた最初の著書『日本の面影』の中で「舞妓について」というタイトルで克明に記している。「舞妓」と書いているから京都の舞妓を想像してしまうが、八雲が記しているのは芸者についてである。ここで八雲は、芸者と客の関係、そしてお座敷遊びについて詳しく語っている。
お座敷で行われるさまざまな遊び、すなわち芸者と客の間で交わされるゲームについても、そのルールや雰囲気まで克明に描写している。これは単なる見聞の記録ではない。ゲームの細かなルール、芸者たちの仕草、客との駆け引き、その場の空気感……これほど詳細に記述できるということは、八雲自身がお座敷に上がり、実際に芸者たちと遊んだ経験があると考えるのが自然だろう。
教師として招かれた宴席で、八雲は芸者たちの芸を楽しみながら、同時に彼女たちの境遇について耳を傾けていたのである。
なにしろ、そうした遊びを説明するところでも八雲はこんな一文を挟んでいる。
日本における漫遊の外客が、しばしば芸妓や給仕女に対して無遠慮なずうずうしさ陥るのは、たとえ微笑みをもって耐え忍ばれても、実際はすこぶる嫌悪されているので、またこれを傍観する日本人からは非常に俗悪下劣の証拠と見做されているのである。
欧米人の無理解を批判、芸者の尊厳を守ろうとした
これは極めて重要な指摘である。当時、日本を訪れる欧米人の多くは、芸者を娼婦と混同し、あるいは「エキゾチックな東洋の女性」として好奇の対象としていた。お座敷に上がれば、芸者たちに無礼な振る舞いをする外国人も少なくなかっただろう。
しかし八雲は、芸者たちが「微笑みをもって耐え忍んで」いることの裏に、深い嫌悪感があることを見抜いている。そして、そうした振る舞いが日本人からどう見られているか……「非常に俗悪下劣」と軽蔑されていることまで理解していた。