八雲は「告発者」として正義を振りかざしているわけではない。むしろ、ただ静かに、しかし克明に、彼女たちの存在を書き残そうとしている。見えないものを見えるようにする。語られないものを語る。

興味深いのは、八雲がキリスト教を嫌悪していたにもかかわらず、その姿勢には「復讐するは我にあり(裁くのは我=神だけ)」という精神が貫かれていることだ。

八雲は裁かない。断罪しない。ただ記録する。善悪の判断は、読者に、あるいは歴史に委ねる。自らは証人として、忘れ去られていく者たちの物語を書き残す。それが八雲の一貫した姿勢だった。そのように、忘れ去られていく者たちの物語を、八雲は記録し続けたのである。

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そして、その姿勢こそが、妻となったセツと八雲を結びつけたものではなかっただろうか。

セツは“八雲の姿勢”に共鳴したか

武家の娘でありながら、没落した家の重荷を背負い、「外国人の妾」として世間の好奇と偏見の目にさらされることになったセツ。八雲はそのセツの中に、社会の周縁で声なき声を上げる人々の姿を見ていたのかもしれない。

そしてセツもまた、自分たちのような「見えなくされた者たち」の物語を記録しようとする八雲の姿勢に、深く共鳴したのではないだろうか。

二人の出会いは、単なる恋愛ではない。忘れられていく者たちへの、共通のまなざしがあったのだ。

昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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