“父親の不在”が、やわらかいサムライを作った

「片親になったときにすごく思ったすね、生きることとか、男ってなんだろうとか」

『情熱大陸』の中で岡田准一は、過去に何度か言及してきた、小学生の時の両親の離婚や母子家庭で育った経験について話している。男性のロールモデルとしての父親がいなかったことで思春期に迷い、周囲にそれを求めたこと、こうなりたい、こうなりたくはないという男性像を周囲の大人たちから教師、反面教師として学んでいったこと。

岡田准一 ©文藝春秋

 サムライ、と岡田准一を語る時に人々はよく言う。その理由はわかる。古武道から最先端の現代柔術まで数々の武術に精通し、映画の中でも見事な殺陣を見せる彼にそのイメージを重ねない方が難しい。だが、『サムライ』という言葉の持つ規範、剛のイメージは必ずしも彼のすべてではない。岡田准一という人物の最も優れた資質は、少年期の「男ってなんだろう」という問いから始まり、不在の父とあるべき男性のロールモデルを求めながら、それが必ずしも硬直した「男らしさ」の規範に陥らない点だと感じる。

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 藤井道人監督との作品『最後まで行く』で演じたのは、武術の専門家でもない普通の刑事だった。圧倒的な能力を持たず、気高い精神性もなく不正に手を染める弱い人間だ。だがそんな主人公が自分の弱さに苦しみながら必死に家族を守ろうとする、その一点の父性、それを演じる岡田准一の演技は素晴らしかったし、作品を通じて藤井道人監督と築いた信頼が『イクサガミ』に通じるというのは理解できる気がした。

 映画『来る』で松たか子に殴り倒されるアクションを自身でプロデュースしていたころから、彼は「殴られ役」「やられる側」の痛みや想像力をもった演技が巧みだ。不思議なことだが、柔術で黒帯を取り、海外の大会で関係者も驚くような善戦を見せ、アスリートとして強くなればなるほど、岡田准一は弱い人間を演じることが上手くなる。足を怪我した人間はどう片足を引きずりながら戦うのか、不安な人間は眼球をどう動かすのか、無敵の強さだけではなく、そのような人間の弱さに対する想像力、蓄積した身体知、人間知が『最後まで行く』の演技には生かされていた。

『最後まで行く』公式Xより

「14歳で経験した阪神大震災の時、不安でパニックになった姉を『うるせえ』と怒鳴ってしまった。それが人生で唯一の後悔」と対談番組『夜明け前のPLAYERS』で岡田准一が語った。弱い人間を「うるせえ」と怒鳴りつけない知性、それが彼のずっと考えてきた「男ってなんだろう」という問いの先にある男性像であり、それは変貌するアメリカを筆頭に全世界が危険な「力の信仰」の揺り戻しの中にある今、とても重要なことに思える。