役選びや共演者への対応にも表れる岡田准一の“柔軟性”
『永遠の0』の国民的大ヒットは、彼に多くの映画賞と俳優としての評価をもたらした。映画そのものは「反戦のメッセージが根底にある」という評価を受けている。だが、それを受容した日本社会が急速に保守化する中、特攻兵を演じた岡田准一に「サムライ」という愛国のシンボルを期待する空気は確実にあったと思う。だが古武道や時代劇への深い思いを持ちつつ、そうした社会の空気に飲み込まれなかった彼のスタンスは、プロデューサーをつとめた『イクサガミ』にもよく表れている。
藤井道人監督と組んだ『イクサガミ』の主人公・嵯峨愁二郎は武芸の達人だが、同時に戦争のトラウマを抱えた弱い人間でもある。そして滅びゆくサムライとしての彼に敵として立ちふさがるのは明治政府と内務省警視局、つまりは大日本帝国なのだ。かつて『永遠の0』で特攻兵を演じた岡田准一が、「封建制の象徴としてのサムライ」と「のちにカミカゼを生み出す日本の戦前体制」を激突させることで、そのどちらも無条件に肯定することなく相対化するメッセージを世界に打ち出す内容になっている。
原作があるとはいえ、この作品を選び、藤井監督らと作り上げたプロデューサーとしての視点は鋭い。『イクサガミ』が日本制作のネットフリックス作品として初めて批評家賞にノミネートされ、作品プロデューサーですら「ノーマークだった」と驚く作品評価をかちえた理由は、この作品がサムライと明治政府の対立を描くことで、近代日本とは何かを世界に問いかけているからだ。
『永遠の0』を監督した岡田准一の盟友・山崎貴監督は『ゴジラ-1.0』で特攻を否定した戦略でゴジラを倒す物語を描いたが、『イクサガミ』はプロデューサー岡田准一としての『永遠の0』に対するアンサーにも思えた。
『新聞記者』を監督した藤井道人監督と組んだ作品だから岡田准一も左派なのだ、と決めつけるつもりはない。彼の中には間違いなく日本の伝統や古武道に対する愛があるし、『永遠の0』で彼を知った一般の日本人には保守的な人々も多くいるだろう。そうした多数派と少数派双方に届く声を持っていることが俳優、プロデューサーとしての岡田准一の強みでもある。
キャプテン・アメリカが愛国のシンボルでありながら人種平等という理念の象徴でもあるように、『永遠の0』で演じた特攻兵も、『フライ,ダディ,フライ』で演じた在日コリアン、朴舜臣も俳優としての岡田准一の血肉として生きているように思える。
『ザ・ファブル』で共演した平手友梨奈に対しても、岡田准一の「柔らかさ」は生かされていた。「こうすべきだ」というサムライ的な規範ではなく、かつて自分がそうだったようにアイドルとしての枠と自己表現に苦しむ平手友梨奈に寄り添いつつ、時には道化て笑わせながら、一方で先輩として踏み込んだ進言も彼女に伝える岡田准一のコミュニケーション技術は、それ自体がある種の「柔術」のように思えた。
「小学生のころは太っていて人気なんかなかった」「片思いの女の子には掃除のときに突然嫌われて、今でもその理由がわからないままだ」……染谷将太や山崎貴と出演した「ボクらの時代」で、少年時代の記憶とともに語ったあだ名「おかっち」を平手友梨奈に呼ばせて微笑む岡田准一には、自分の痛みや弱さも技術に変える、「柔らかい男らしさ」とでも呼ぶべきタフな力が宿っている。

