藤井がピタリと動かなくなる。そして…

 ところが永瀬が銀を引いて受けると、再び藤井が動かなくなる。何かまずい順でも発見したのか、などと話していると、中継記者が「ここで飛車を引く手をAIは示しています」。

 いやいや、ここで後手を引くはないでしょうよ、と福崎と全力で否定。しかし、なかなか藤井は指さない。まさかとモニターを見ていると、藤井は17分の考慮で飛車を引いた!

藤井の一手に控室ではどよめきが起こる

 私が「うわー」と叫べば、福崎も「おー」と呼応する。しかし、改めてこの局面を眺めてみると、後手はあちこちにキズを抱えて忙しい。後手陣を銀冠にさせて堅くし、後手を引くなんて、昔だったら流れが悪いと怒られそうな順だ。

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 これが読み筋ならば、人間らしい思考の範疇は超えている。効率も流れも無視し、怖いといった感情も排し、その局面をロジックにのみ落とし込んだ、真理の結晶のような一着だった。

苦悶の表情を浮かべる挑戦者

 予期しない順に、永瀬は苦悶の表情を浮かべた。歩で飛車を叩き、さらに歩を垂らしてプレッシャーをかける。手段を尽くして飛車は取れたが、3手もかかった。その間に藤井は銀を取り、歩を成って、寄せに向かって前進していく。この攻防を整理してみれば、飛車を切らずに引いたことで、逆に手数を稼いでしまった格好だ。

 福崎が「飛車を引いたときは藤井さんが、ひなたぼっこしていると思ったんやけどなあ」と、狐につままれたような顔でつぶやく。いや、私の表情も同じだろう。大盤解説の休憩で控室に戻って来た井田も、開口一番「飛車を引いた手はすごいですね」と感嘆の声を上げる。