自分の力では起き上がれず「死のうにも死ぬことができない」

――下半身が動かないという現実は、仕事にも人生にも直結する大きな出来事です。それだけに、簡単に受け入れることはできないですね。

佐藤 脊髄梗塞だと知ったときは、「死にたいな」としか考えられなかったです。頭の中は、「どうやって死のうか」ばかりで。妻は僕がそういうことを考えていることもわかっていて、かなり心配していたみたいです。

――「屋上へはどうやっていけばいいんだろう」とまで頭によぎったそうですね。そう考えて動こうにも動けない、という状況だった。

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佐藤 起き上がることすらできませんでした。ベッドのリクライニングを操作しない限り、自分の力では起き上がれないので、死のうにも死ぬことができない。全くご飯も喉を通らないし、入院先は慣れない土地だし。精神的に完全にやられてしまいました。

 

――当然ですが、ご家族も混乱されたでしょうね。

佐藤 息子たちには倒れた日に、妻が「倒れた。治らないし、いつ帰れるかも分からない。一生車椅子の可能性がある」と連絡そうです。

 息子たちは「どういうこと? 生きてはいるんでしょ?」と。妻が「上半身は大丈夫だけど、精神的に『もう人生終わっちゃった』感じになっているから、家族LINEのパパの返信は『ごめんね、ごめんね』ばっかりになると思う」と息子たちに伝えたそうです。

 その日のうちに、息子から妻に「父ちゃん、生きていれば大丈夫」と返信が来たそうです。私は家族に「ごめん。一生迷惑かけちゃう」とも送ってしまいましたけど。そうしたら、翌日には息子たちから「何の競技で車椅子の選手になったらいいのか、僕らで考えておくから。休んでる場合じゃないよ」と。

 まあ、息子たちがすごかったです。「つらい時はこの音楽を聴いて」とか「泣きたい時はこのお笑い動画を見て笑って」とか、いろんなものを送ってきてくれました。

息子たちの明るさが、暗闇の中に差し込んだ最初の光

――そうした家族の反応で、シャキッと前向きになれるものですか?

佐藤 いや、最初の頃は息子たちの言葉も入ってこなかったです。スイッチが入るまで、それなりに時間が掛かりました。

 でも彼らは、僕がただ同情されるのを嫌う性格だと分かっていたんでしょうね。「かわいそうに」ではなく、「ここからどうする?」という未来に向けた視点をくれたんです。長男が「車椅子ラグビーは激しすぎるから、バスケかな」なんて言い出して。そんなやり取りをしているうちに、僕も少しずつ「そうか、終わりじゃないんだ」と思えるようになっていきました。彼らの明るさが、暗闇の中に差し込んだ最初の光でしたね。

――息子さんたちとのやりとりを通じて、少しずつ前を向けるようになったと。

佐藤 「いつまでもこうしてはいられない」となりました。「完治」を目指すのではなく、「機能回復」を目指すんだと、考え方を切り替えるようになって。失われた神経は戻らないかもしれない。でも、残った神経や他の筋肉を鍛え、新しい体の使い方を学ぶことで、できることを増やしていく。それは「治す」とは違う、新しい自分を作り上げていく作業なのだと考えるようにしました。