立場を入れ替えてみると、実際には変わらないこともあるかもしれない
――途中で日常のなかで演劇をする人たちの話になってからは、日々名前や性別も入れ替わるので、誰が誰だか分からなくなったりする。そんなふうに複雑な状況に心地よく翻弄されました。
星野 誰が語っているのか分からなくなって、読み手が混乱していくくらいにしたかったんです。読者がその迷宮の中に入ってしまって、迷ってほしかったんです。
で、迷ってもいいんだと思ってほしかった。迷わないように、合理的に常に整理して自分の立ち位置を考えたりせずに、迷ってしまって、迷宮に身を委ねる快楽を知れば、もっといろんな物語が楽しく読めるようになるだろうから、そういう体験をしてほしかったんです。
――で、楽しく迷宮をさまよっていると、最後にひゅーーーーっと現実に引き戻されていく。あれもまた快感でした。
星野 そうですね、あそこは溜めて溜めて、スピードをつけて一気に戻る。いや、書いている間は自分も迷いそうだったんですが(笑)。
――語られる物語は幻想的ですが、原発のことや各地の紛争や傭兵のことなど、現実の問題も盛り込まれていますよね。
星野 そうですね。これを書き始めた時にちょうど震災や原発事故が起こったので、物語の中に閉じこもっていることに罪悪感をおぼえてしまって。
それとは別に、震災前からずっと感じていたことのひとつに、何かと何かが対立した時に、実はその両者が似ていたり、同じ構造をとっていたりする、ということがあったんです。最初は意見が違っただけなのに、それが敵か味方かに分かれると次第に対立のための対立に変わっていって、当初の意見の違いも吹っ飛んでしまう。お互いに自分の正しさを相手に呑みこませることが目的に変わっていく。そういう姿勢において、両者はどんどん似ていくんですよね。極端な場合、立場を入れ替えてみても、実際にはさして違わないかもしれない。
その結果、元は単に一つのテーマで意見の相違があっただけなのに、あたり一面が敵か味方かに分かれ、得するのは全然別の人、みたいなことが起きる。世の中の動き方がそうなっているなとは、震災前から感じていたんです。
この構図は、原発事故以降にさらに極端になっていきましたよね。原発の問題も80年代までは推進派、反対派がそれなりに活発に活動して、でも膠着状態に陥って世の関心が下がったとたんに大量の原発が作られてしまった。で、原発事故の後にもやっぱり、推進派、脱原発派に分かれていて、どちらも原理主義化していく。膠着すればするほど、また同じような、社会的合意のない既成事実の建て増しみたいなことが起きていくわけです。
――星野さんはずっと、いろんな問題意識を持たれていてそれが小説にも反映されていますよね。配分の違いはあれ、いつも幻想的な部分と現実社会をトレースした部分がありますが、その作風はいつくらいから生まれたんでしょう。小学生の頃はSFを書いていたんですよね。
星野 そうですね。その頃から非現実的要素はたぶん好きだったんですよね。
小学生の頃にSF小説や映画が好きな友達がいて、その影響を受けて自分も読んでいたんですが、ある日彼が「今日は小説書こうぜ」と言うから「え?」と驚いて。それまでは自分で小説を書くという発想がなかったんですね。そんなことしていいんだと思いました。で、2人で書いて見せあいっこして、まだ書いていないストーリーについてデタラメにしゃべったりして。卒業文集では将来なりたいものの一位に「SF作家」と書いているんですよね。