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現代の日本社会を凝縮した最新作『呪文』が話題に。カリスマが作られていく、その先にある「恐怖」とは?――星野智幸(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/12/19

genre : エンタメ, 読書

note

僕はあらゆる人に何かしらの文学の能力はあると思っているんです

――でも新聞社を辞めて、メキシコに留学されたんですよね。

星野 ええ。文学の世界以外を知りたくて新聞社に入ったように、日本以外の世界を知りたくて、外国で暮らしてみようと思ったんです。学生のころから思っていたことでした。で、どこにしようかという時に、日本と逆方向の世界というか、日本の価値観が通じなさそうなところがいいと思い、当時ラテンアメリカの文学にハマっていたので、中南米のなかでも治安のよかったメキシコにしたんです。日本に比べたら全然違いますけれど、あの頃のメキシコは比較的治安のいい時期でした。みんな夜の12時でも歩いて帰ったりしていましたから。結局、1年ずつ2回行きました。

――生活も全然違うだろうし、性格も変わりそうですよね。

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星野 そうなんですよ。メキシコでは、このまま日系人になってもいい、偽メキシコ人になろうぐらいの気持ちで生活してました。向こうでは電車でもジロジロ人のことを見るんです。こっちが見返していても見ているんです。それで「負けちゃいけない」と思って見返すようなことをしていたんです(笑)。そしたら日本に帰ってきた時、友人に「なんか目つきがおかしくなった」と言われました(笑)。しばらくは、スペイン語を耳にするともうかまわず声をかけたりしてましたしね。

――(笑)。帰国後は映画の字幕翻訳のお仕事をされつつ、小説を書いて、応募するという生活になったわけですね。

星野 研究職も考えたんですが、どうしても自分が向いているとは思えなくて。どういう形で文学に関わっていいか、よく分からずにいました。それが92年の頃で、その時に中上健次が死んだ。なんかもう才能の問題で小説を書くとか書かないとか言っていてもしょうがないんだって思ったんです。先ほども言ったように、僕はあらゆる人に何がしかの文学の能力はあると思っているんですけれど、それに目を向けてみんなが何かしらの文学表現をしてみようとしないと、個人は消えるなって強く思ったんですよね。

 実際に今もその事態はどんどん進行しています。非常に分かりやすい表現じゃないと駄目だとか、公式的な表現や公式的な内容じゃないと受け入れられなくなるということが進行している。だから、みんなが何かの形で自分が実感の持てる私的な表現をしていかないと、個人が消えてしまう。それが僕にとっての文学です。

 別に誰もがプロの作家を目指さなくちゃいけないわけではなくて、日記を書くという行為などでもいいんですけれども、僕は小説を書こうと思ったんですよね。で、2回目の留学から帰ってきて職もないとなった時、これは真剣に小説を書かないともう後がないなと覚悟したわけです。

――星野さんはエッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』(14年岩波書店刊)のなかで、「作家は社会的存在であり、社会的な責任を果たさなくてはいけないと思っている。私の考える作家の社会的責任とは、形式的で空虚な言葉だけは絶対に吐かない、流通させないということである」とも書かれていますよね。「私が小説を書き始めた原点は、言葉が通じなくなりつつある現在の環境の中でもう一度言葉を成り立たせよう、それは小説でしか可能性はないと考えたからだ」ともあります。

未来の記憶は蘭のなかで作られる

星野 智幸(著)

岩波書店
2014年11月18日 発売

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星野 そうですね。それは本当に、中上健次が死んで、誰でもいいから文学を表現するしかない、と思ったことに通じますが、自分の内面を表現するのに、本当は自分の中を見つめて、自分の感触の持てる言葉で言うべきところを、実際には外の空気に合わせて、外に受け入れられる言葉を言っちゃうわけですよね。自分はこんな人間であるとか、自分は今こんな気持ちだということについて。

 そうすると、それは結局、その人の根本や実存に触れない言葉になっているので、つまりはお互いに表面的で形式的な言葉を言い合っているだけで、ひたすら空虚になっていくわけです。そのストレスや不満は知らないうちにどんどん蓄積していって、本当の自分は他人には受け入れてもらえないんじゃないか、という不安を高めるばかりだと思うんです。

日本の中がそういう状態にあるなというのは90年代に入る頃から感じていました。文学というのはそれを、一読しただけではよく分からないかもしれないけれども、何かを感じさせる言葉に変えて出していくものだと思います。たとえば「感動」という言葉はポジティブな意味だと思われていたのに、少し違うおぞましさを生み出す強制力として使われることで、「感動」という言葉の持つイメージが更新されていく、とかね。そういう意味で、個々人が小説を書いていかなきゃいけない、文学をやろうとしないといけない、というふうに思っていたんですよね。

 でも、90年代の後半に入ってくると形式化は極端に進んだ。やっぱり阪神大震災や地下鉄サリン事件の後からです。

――95年以降ということですね。

星野 それと97年の酒鬼薔薇事件。そういうことを起こす人々の内面を考えるのではなくて、「あれは異常な悪だから」と線引きして形式化しちゃう。