1ページ目から読む
2/9ページ目

今の日本は、外からの批判というものを受け入れなくなっている

瀧井朝世

――しかも、みんな私利私欲に走ってそうやっているのではなく、正義のためだと信じて行動しているから、歯止めがきかないですよね。

星野 そうそう。これが宗教団体っぽく、カルトっぽく見えるのは、みんな信念を持っているところですよね。その信念がもともと自分の中にあったのかどうか怪しいのに、それこそカリスマに熱狂しはじめた時から、自分は正しいことをしている、これが社会を良くする一番の道だと信じ込んでしまう。だから外部から「間違っている」と言われても、耳を傾けない。やましい気持ちがあるのなら、何かでブレーキがかかる余地はあるかもしれないですけれども、それが消えている状態というのが怖いわけです。

 そうした狂信状態というのは、頭の中が密室状態になっているといえます。ひとつのことしか頭に入っていない状態。例えばこの小説の舞台の小さな商店街でも、改革が始まると、正義を維持するためにはみんなが同じ考えでなくちゃいけない、というような一種の強迫観念が生まれてくる。自分たちと違うものを間違ったものとして排除することで、みんなが密室状態に入ってしまっている。

ADVERTISEMENT

 商店街で生活している人のなかには最初は積極的に加担しているわけじゃない人もいるけれど、彼らは次第に自分の存続が脅かされているような恐怖を感じはじめるし、逃げられる外の世界がないと感じてしまう。結局その人たちも、みんなと同じ価値観を持たないと生きられないと漠然と感じて、次第に積極的に密室の中での価値観に加担しはじめていく。そうするとさらに、外部の目や外部の意見、言葉が排除されていくので、どんどん密室状態が強まっていくと思うんですよね。

――密室状態になったこの商店街の姿が、今の日本の姿でもあるようにも見えますね。

星野 今の日本を見ていると、かなり異様なことを言っていても、外からの批判というものを受け入れなくなっていますよね。社会でもそうだし、政治でも、外から批判があっても、権力を持っている人たちが「自分がルールだ」みたいなことを言い出してしまっている。そうなると外部が消えるし、民主主義も消えますよね。

――この小説の主人公、霧生は商店街で店を開いたものの経営不振、でも図領たちの作った密室の中にも入りそびれてしまった青年です。彼は自警団に説得され、社会の変化の波に乗れなかった人間の「クズ」として、クズはクズなりにどう生きるのか、クズ道を諭される。社会からあぶれた人間はどこに価値を見つけるのかという問題も浮き上がってきますね。

 

星野 この商店街の構成員の特徴は、かなりの人が自分に自信がなかったり、自分に価値を感じていなかったり、自分が役立たずの人間だというふうに思っていて、非常に自己評価が低いことですね。でもリーダーの図領の改革案や正義感に加担して図領と一体化した気分になることで、自分にも価値があると思えてくる。そういう形でみんな憑依されていくわけですよね。

 それでも加担できない人に対しては、今度は新たな価値観として、クズこそがこの世の中を一新するという、極端で矛盾したイデオロギーが出てくるわけです。要するにみんながプラスの価値観を持った人間になって社会を変えるなんていうことは不可能である、と。それを目指そうとするから、一般の人間は苦しくなるのであり、そうなれない人間は、逆になれないことを証明して消えていくことで、有能な人間を活かしていくことができるんだ、と。身も蓋もなく言えば本当は、有能な人間のために死ね、と言っているわけです。それが君たちの存在理由であり価値であり、今まで誰もやっていないことを成し遂げられる行為なんだと言われた時、極端に自分に対してネガティブな人間たちは、一発逆転でようやくアイデンティティを持つことができると思ってしまう。

「こんなことはさすがに実際には起きないでしょう」と言う人もいるんですけれども、戦前の日本ではこういうことが行われていたんです。それが国のために死ぬとか犠牲になるという価値観を支えていたのであって、すでに起こったことを僕は書いているつもりです。この日本社会はそれを一度、世界のどこよりも極端な形で実現してきたのだから、そのことを忘れると本当に同じことを繰り返す可能性は大いにあるでしょうね。

――クズの人間が自ら消えることを選ぶという行為には、星野さんがずっと前から考えていらっしゃる、現代社会における自殺の問題も含まれていますよね。

星野 おっしゃるとおり、自殺の問題を何度もぼくは小説に書いてますよね。基本的には自殺って、自分で望んだ死ではなくて、追い詰められてもうそれしか方法がなくなった上での行為なわけです。本人が選んでの死ではないということを、今までいろんな形で描いてきました。今回の場合には、それがあたかも自分が選んだかのようになっている。そういう価値に変えてしまう呪文があるわけです。その呪文にかかると、追い詰められている人たちは自分の価値を証明するかのように死に向かっていく。しかもその先は、そこまで小説では書いていないけれども、もし死んだらすごく称揚されるような状況が出来上っている。それがこの本で書いた、切腹というあり方です。それ以外の形の自殺の仕方をした場合にはネガティブに言われるのに、切腹という形で自死をしたとたんに英雄みたいになってしまう。同じ自死なのに正反対だという怖さがありますよね。