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安部公房の『壁』には影響を受けていますね

――さて、そこからどう作風が変化していくのかという。

 

星野 僕が引っ越してその友達と離れて、中学時代はいったん書かなくなるんです。でも中学の時に友達の塾の先生が作家デビューをしたので、「うお、本物の作家だ」と興奮した(笑)。僕はそこの生徒ではなかったんですが、その先生とは親しくさせてもらいました。高校に入ったら国語の先生がやっぱり細々と小説を書いて出版していた人だったんですよね。日本近代文学の正統が好きな方で、作品も私小説風のものでした。その先生の授業がすごく面白かった。まあ、ですから小説を書く人は身近にいたんですよ。

 その影響もあったのか、早稲田の文学部に入って、2年生になる時にはからずも文芸専修に希望を出しちゃったんですよ。1年生の時から友達と小説を書いたりはしてましたが。その時はSFではなく幻想小説でした。宇宙とか科学とかメカとかが論理的に説明される設定ではなく、もっと説明のつかない非現実的な世界で、奇妙なことが起こるという。

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――それは誰かの作品の影響があったりしたのでしょうか。

星野 あまり記憶がないですね。あ、でも大学に入ってから、安部公房が好きになったんですよね。『壁』(新潮文庫)には影響を受けていますね。安部公房のなかでも、ああいう幻想的でSF色の強いほうが最初は好きだったですね。あとカフカとか。

――将来作家になろうと思っていたわけではないのですか。

星野 ないですね。文芸専修に入ってみると、みんなの書く小説がうまいんです。僕のものは箸にも棒にも引っかからないし、先生からも評価されなかった。だから、自分の世界を書くのは好きではあるんだけれども、人が読んだりするレベルのものではないと自覚していました。

――その頃うまいなと思った学生で、その後デビューされた方はいるんですか。

星野 たぶん、いないですね。とりあえず僕の代で小説家になった人はいないんじゃないかな。鈴木志郎康さんの詩の授業もあったんですけれど、みんな詩を書かせてもレベルが高いんです。その時に僕の詩は「こういうのは詩として勘違いしている例」として読み上げられて、自分でも自覚していたものの、すごく恥ずかしかったですね。

 だから、自分には文学の根本的な才能はないんだっていうことは、痛いほど自覚してました。その後もガルシア=マルケスが好きになったり中上健次にのめり込んだりして、彼らの作品のようなものが小説だと思うと、もう到底無理というか、自分とは計り知れない無限の距離があるので、自分が目指すものじゃないと思っていたんですよね。

――でも、今こうして活躍されている。

星野 いやいや。サッカーでも、一部の天才は圧倒的に輝くけど、あとはすごく才能があるのにたいして活躍しないで若くして引退しちゃう選手がいっぱいいるじゃないですか。その一方で、目立った才能があるわけじゃないのに、代表にも入ってそれなりに活躍しちゃう泥臭い選手もいる(笑)。自分が代表クラスだと言いたいわけじゃなくて(笑)、だからやっぱり才能だけの問題でもないと思っているんですよ。ま、そうじゃないとやっていけないんですけれど。