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就職した時は、文学からいったん離れようと思ったんです

――作家になったのは、才能以外に、何があったからだと思いますか。

星野 僕の場合には、なんというか…才能のなさを自覚しすぎる能力ですかね。これは今でも思っているんです。僕は、本当の意味では小説家ではないと思っているし、作家ではないと思っていますし。

――ええー?

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星野 謙遜じゃなくて。詩人の四元康祐さんの『偽詩人の世にも奇妙な栄光』(講談社)も、詩の才能がないと自覚している人が、それでも自分が詩を書いた瞬間をある形で体験して、その延長上で偽詩人になってしまうという小説なんですけれども、これを読んだ時、自分のことを書かれていると思ったくらい、シンクロしてしまいました。心底から僕には文学的言葉の才能はあまりないと思っているんです。もちろんゼロだとは思ってないけど、でも文学の才能はどんな人でも必ず少しは持っていて、その人なりに表現はできるんです。僕は自分のその部分をできるかぎり伸ばしたんです。

 ただ、文学的才能がない人はまず、詩は絶対に書いてはいけないし、書けない。でも小説は曖昧なんですね。小説というのは僕にとって詩的言語で書かれた散文なので、詩の要素を持っていなくてはいけない。けれども、全部が詩の言葉であってもいけなくて、詩の言葉から俗世のほうに落っこちてしまった言葉というか、そういうものとの兼ね合いで書くもの。僕はまあ、そのこぼれ落ちた部分と、こぼれ落ちていない、ほんの一握りの詩的言語の部分でかろうじて小説が書けているのかなと思っているんです。そういう意味で、小説は僕でも書ける(笑)。僕が考えている小説というものに比べたら、僕の書いているものは小説じゃないんですが、一応、世間的に小説と呼んで許される括りの中にはかろうじて入っているかなという。

 

――星野さんが考える小説というのは、マルケスや中上ということですか。

星野 そうですね。他には大江健三郎さんとか金井美恵子さんとか……。

――大学卒業後は新聞記者になられて、でも2年半で辞めていますよね。辞めた時は、文学をやりたいという気持ちがあったそうですが。

星野 就職した時は、文学からいったん離れようと思ったんです。文学をやめようと思ったわけではなくて、文学じゃない世界を知らないと怖いなと思って。だからいったん全然関係ないほうに行きたかったんですよね。給与所得者になりたくて就職活動を始めたんですが、文学部で行けるところといったらマスコミだろうと。そのなかで最初に決まった新聞社に行ったんです。新聞自体は好きだったので。

 でも2年くらいした時に、文学と同じように言葉を扱う仕事だけれども、やっぱり文学とは正反対のほうを向いているなと実感したんです。記者の仕事はそれはそれで楽しいんだけれども、このまま10年以上続けていたら、きっと後悔したり不満を持ったりしかねない、ってことは自分はやっぱり文学をやりたいんだと気づいて。その時、何らかの形で文学に関わる仕事で生きていこうと決めたんですね。