海っぺりに広がる低地の町

 いまでは暗渠化されて緑道になっているが、駅の北の当代島という一帯にも船圦(ふないり)川という川があり、旧江戸川に通じる当代島水門が残っている。

 

 こうした川の多くは、みな町の中を流れて東京湾に注ぎ出る。浦安は、ほとんどが東京湾の海っぺりに広がる低地の町だ。さらに言えば、その低地の大部分、市域の7割以上が昭和30年代後半以降に埋め立てられた土地である。

 もちろん、ディズニーランドだってそうした埋立地の上にある。そして、浦安市民約17万人の多くが埋立地の上に住んでいるのだ。

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 一方、古くからの浦安はというと、東京湾に面する小さな漁師町だった。浦安駅は、まだまだ埋立事業がはじまるかどうかという1969年、古くからの漁師町の中心部近くに開業したのである。

三つの村が一つに合体

 浦安駅前の宮前通りを5分ほど南に下ると、境川という川を渡る。かつての漁師町の中心は、この境川沿いに広がっていたという。

 

 江戸時代はじめには、この地域の主要産業は塩の生産だった。ただ、早い段階で塩田は荒廃して漁師町に変わっていった。境川から北側は猫実村、南側は堀江村。川沿いに住宅が密集し、漁師たちは境川に浮かべた船をこぎ出して海に出た。

 

 猫実村・堀江村と当代島村が合併し、浦安市の前身である浦安村が成立したのは1889年。その頃もまだ、江戸時代とほとんど変わらない漁師町。

 境川には実に2000艘もの船が係留され、魚や貝を水揚げする場面が連日見られたという。よく獲れたのはアサリやハマグリ。さらに海の上では海苔の養殖も盛んで、7000~8000もの海苔筏が並んでいた。

 

 水揚げされた貝を缶詰にする工場などもできたが、基本的には一貫して“東京湾沿いの漁師町”。それが、昭和30年代まで続いた浦安の風景だったのである。