すべてが一変した「黒い水事件」

 ところが、戦後少しずつ状況が変わってゆく。工業廃水などで東京湾の汚染が進む。決定打になったのは、1958年の「黒い水事件」だ。

 江戸川の上流側にあった本州製紙の工場から流れ出た工業廃水で、旧江戸川や東京湾が黒く染まり、魚や貝が大量に死滅。漁師たちと工場や関係官庁との間で激しい交渉が繰り広げられた。

 

 漁師たちは補償を手にすることができたが、一度汚れた海はすぐに元には戻らない。漁獲高は減少し、段階的に漁業権を放棄してゆくことになる。浦安の漁師たちが漁業権を全面放棄したのは、1971年のことだ。

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 一方、この頃には地下鉄東西線が開通して浦安駅が開業。それまでは鉄道が通っておらず、“陸の孤島”などと呼ばれていた。

 それが東西線のおかげで東京都心から20分ほどというめちゃくちゃ便利な町になったのだ。

 

 さらに沖合の埋立事業も進み、町の性質はそれまでの漁師町から一気に変わってゆく。町は急速に発展、田畑が消えて市街地へと変貌していった。昭和30年代には2000人ほどだった人口も急増。昭和50年代には5万人を突破して、1981年には市に昇格する。

 

 そして、こうした発展の過程で、かつては海苔の養殖地だった埋立地に東京ディズニーランドが開園したのである。

いつしか中心地は移り変わり…

 こうして、浦安駅にはじまった漁師町から郊外都市への移り変わりはあっというまに成し遂げられた。1988年には京葉線が開通し、ディズニーランドの最寄り駅は浦安駅から舞浜駅へ。さらにもうひとつ、埋立地の上には新浦安という駅もできた。

 いま、舞浜駅や新浦安駅のお客の数は、東西線の浦安駅を上回る。浦安駅もかつて夢の国の玄関口として、1日の乗降客数が10万人を突破、構内の混雑をなんとかせねばと大改良工事を行ったこともある。

 

 が、そんな努力も虚しく、浦安市の実質的な“中心”はいつしか埋立地の新しい駅に持っていかれてしまったのである。