懲役は…
が、控訴審において、名古屋高裁金沢支部は前川さんを被害者宅に送り、返り血を浴びて車に戻って来たとするFの証言は十分信用でき、Cの供述も覚醒剤取締法違反容疑での取り調べはすでに終了していており自己利益のためのものと言えないと判断。一審判決を破棄し、有罪、懲役7年の判決を言い渡す(1995年2月9日)。
その後、最高裁が1997年11月14日に上告を棄却したことで刑が確定。前川さんは金沢刑務所に収監される。
刑期満了で出所したのが2003年3月6日。1年4ヶ月後の2004年7月、前川さんと弁護団は、物証がない中で当時の事件で有罪の根拠となった6人の供述についての矛盾を指摘し、名古屋高裁金沢支部に再審請求を起こす。
対して同支部は2011年11月、再審の開始を決定。
その理由として、弁護側の要請で2008年に検察が開示した殺害現場の状況写真28点、捜査段階での供述調書128点などから「文化包丁より幅の狭い刺創があること(第3の凶器)」「出血の飛散はなく犯人が大量の返り血を浴びたとは考えにくいこと(こたつカバーがあったため)」「車両に血痕を示すルミノール反応がなかったこと」「現場にドライヤーの電気コードが鴨居から吊り下げられていたこと(首吊り自殺の偽装工作か?)」「6人の証言が様々に変遷していること」などに加え、二審の逆転有罪判決の決め手となった「事件当日に前川さんに会った」という証言をした知人男性が「実は会っていなかった」と証言を覆したこと、さらには捜査段階で前川さんの後輩が事情聴取を受けた際、勾留されていた暴力団員Cから前川さんの事件への関与を認めるよう恫喝されていたことが明らかになったことなどを挙げた。
しかし、検察の不服申立てに、名古屋高裁本庁は「目撃者6人の証言に変遷はあるものの、核心部分ではおおむね一致し信用できる」などとして再審開始を取り消す決定を下し、最高裁もこれを支持したことで再審の扉は閉ざされることになる(2014年12月)。