城内の二大必見スポット
堀切の先が二の門。急勾配を登り切った先でほぼ直角に折れ、城門と城壁の隙間を縫ってさらに城内中心部へと進んでゆく。いかにも、戦闘時の最大の関門といった構造だ。
山城の守りの基本は、上下左右の“壁”。幅を狭くし、屈曲させ、高低差を用いて攻め手の勢いを削ぐ。まさに絵に描いたようなスポット。大半の登城者が天守を目指して次々と登ってゆく中、ひとりあらゆる角度で戦う山城っぷりを堪能した。
そして、城にほぼ必ずあるものといえば、水の手。井戸や湧水などの水源だ。これがないと籠城戦の際に困ったことになってしまう。
山城でも案外、きちんと水の手が確保されていることが多く、その痕跡を探すのも山城巡りの楽しみのひとつ。稲葉山城には本丸付近に2カ所、しっかりと残っていた。
「金銘水」。岩盤を四角形にくり抜いた、雨水を溜める貯水施設。ほとんどの登城者がスルーしていたが、見逃すべからず。雨水貯水タイプの水の手は時々あるが、岩盤タイプは珍しい。
信長気分で天下を眺める
ここまで来たら、天守は目と鼻の先だ。三層四階建の復興天守は1956(昭和31)年築。信長時代には天守はなく、息子・信忠時代に建てられたとされている。
天守内の展示ももっぱら信長ばかりが目立つ。個人的には、斎藤家三代についても、もっと推して欲しいのだが。岐阜駅前の黄金の信長像といい、秋の「ぎふ信長まつり」といい、「岐阜」と命名したのも信長だし、致し方ないのか……。
平野にそびえる独立峰らしく、天守からは文字通り四方が見渡せて気持ちいい。
信長が「天下布武」という印を使い始めたのが、斎藤家を滅ぼし、岐阜城を拠点と定めた1567(永禄10)年頃。まだ、尾張と美濃の2国のみ制覇しただけなのに、壮大な夢を思い描いたのは、この景色あってのことかもしれない。
最初に「見るからに難攻不落」と書いたが、実は稲葉山城、なんと6回も落城している。その理由は、ここまでの道中で明らかだ。







