なぜ攻め落とされやすいのか

 まず、切り立った尾根の上が城域のため、平地が少ない。これでは大した兵力を城内に駐屯させることができない。

(再掲)岐阜城の縄張図

 また、各曲輪の配置が直線的に並んでいる、相互に連携しづらいレイアウトもマイナスだ。尾根が複数伸びていたりせず直線的だと、各曲輪間を分断するのも容易くなってしまう。

 この2点、実際に城内を歩いてみれば身をもって実感できる。石垣など、斎藤時代と織田時代で多少変わっているだろうが、基本的な縄張はほぼ同じはず。

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天守南西の断崖には、わずかながら石垣も見られる

稲葉山城は裏門まで制すべし

 山上からの帰路は、裏門を通って水手道へ。道中に水の手はないのだが、長良川が流れる西側だから水手道なのだろうか。

岐阜城への登城ルート地図(現地案内板より)
裏門へは岩肌剥き出しの道
岩盤の道は傾斜もかなりのもの

 登ってきた大手道とまるで異なる、ワイルドな登山道。道は明確だが、足元はかなりガタガタしている。しばらく歩くと裏門。といっても建造物はなく、地形が残るのみだ。

 水手道は直進だが、右に折れ進んだ先にも堀切がある。こういう時、山城好きはついつい寄り道してしまう。当然、右へ。5分ばかり歩くと、見えてきた。

分岐の先にあった堀切

 尾根上で見た堀切とは深さが全く違うが、いかにもな遺構。わずかだが石積みで補強されているのもポイントだ。寄り道した甲斐があった。