名古屋市在住のガラス作家・大河内愛美さんは、レックリングハウゼン病(神経線維腫症1型)という指定難病とともに生きてきた。主な症状には、肌にあらわれるカフェオレ斑と呼ばれるしみと良性の柔らかい腫瘍。大河内さんはその症状のため、小中学校でひどいいじめを受けたという。また、成人してからは合併症を併発し、背骨にボルトを入れるという大手術を受けることにもなった。

 長くレックリングハウゼン病であることを人に話せなかったという大河内さんだったが、ある時期から、SNSなどを通して積極的にこの病気について発信するようになった。そんな大河内さんのこれまでについて、3回にわたりお話をうかがった。第1回は、レックリングハウゼン病とともに生きた思春期までのお話。(全3回の1回目/つづきを読む

大河内愛美さん

「キモい」「死ね」と小中学校でいじめられて

――ご自身の体の変化に、いつ頃から気づいていましたか。

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大河内愛美さん(以下、大河内) ものごころついたとき、最初はたくさんあるカフェオレ斑が気になっていました。だんだん神経線維腫(良性の腫瘍で柔らかいドーム上のしこり)も増えていくし……。でも両親はあまり気にしていない様子で、私が「これ何?」と聞いても「生まれつきだから」と言われるだけで。だから、病気だなんて夢にも思っていなかったです。

 病名を知ったのは高校1年生、携帯電話を初めて持ったときでした。肌の症状について、ずっと気になっていたので「カフェオレ斑」でキーワード検索をしたら、一番上に出てきたのが「レックリングハウゼン病」「難病」という言葉で「自分はこの病気なのかな?」と思って。それで初めて知りました。

 

――いじめを受けた話はおつらいと思うのですが、少し聞かせてください。著書のタイトルに『バイオハザードと呼ばれていた私がドレスや水着を堂々と着るなんて』とありますが、実際にそんなふうに呼ばれたんですか?

大河内 はい。小学生の頃はずっと男子から「バイオ」と言われてました。カフェオレ斑が、顔や首のあたりに見えていたからだと思います。

 中学校でも入学して2日後くらいには、もう他の小学校から来てた男子にまで「キモい」「死ね」と言われるようになって。誰かが話して広めたんだろうな、と。そこからどんどんそういうことを言う男子が増えていきました。