つらい日々を支えたガラス工芸への夢
――ガラス工芸に出会ったのはいつごろでしょう。
大河内 小学校6年生でテレビで見て。その後、中学生1年生のとき、吹きガラス体験をして「楽しい!」って。そこから「ガラスをやりたい」という気持ちがずっとありました。
――つらい学校生活のなかで、ガラス工芸をやる夢は支えになっていたのでしょうか。
大河内 そうですね。この人たちを見返したい、という気持ちはあったと思います。「あなたたちとは住む世界が違うんだ」って思っていました。
――放課後はどのように過ごしてましたか。
大河内 帰ったら宿題をやったり……でも勉強はあんまり頑張ってなかったんです。小中学校の知り合いがいない高校に行きたい、という気持ちはありましたけど「高校はどこでもいいや」「赤点を取らなきゃいいか」という感じで。でもガラスをやるために美大に行きたかったので、デッサンはちゃんと勉強していました。
――ご家族も芸術系ですか。
大河内 いいえ。でも両親から反対されるようなことはなくて「やりたいようにやれば」という感じでした。小学生の頃「将来ガラスやりたい」って言い出したときは「ちょっと体験すれば、満足して収まるだろう」と思っていたみたいです。
「目立つと変な目で見られるのでは」という思いは消えず
――大学進学は順調に?
大河内 調べたら、ガラスを専門的に学べる大学は全国に10校ほどしかなくて。実家から通えるのが名古屋芸術大学でした。デッサンもある試験を受けて、ストレートで入学しました。
――大学生活はどうでしたか?
大河内 やっとガラスができる、って。水を得た魚みたいでした。
――大学の学園祭では実行委員に入って、ステージで「おジャ魔女どれみ」のコスプレもされたとか。元来の性格としては活発だったんでしょうか。
大河内 どうですかね。やっぱり、人前に出るのはあんまり得意ではなかったです。小中学校のいじめの影響か「自分が目立つことをしたら変な目で見られるんじゃないか」とか、そういう勝手な思い込みがあって。「自分がこういうことしてるのって変なんじゃないかな」とか。自分の見え方というのを常に気にしていてはいましたね。
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いじめの傷を抱えるなか、ガラスという光が進む道を照らしてくれるようになっていった大河内さん。「ガラス作家として活躍したい」という思いは、やがて別のかたちで、大河内さんの人生を動かしていくことになります。(第2回につづく)
写真=細田忠/文藝春秋
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