日本の平和を担う約22万人の自衛隊員。その巨大組織において、指揮官として現場を動かすリーダー層が「幹部自衛官」だ。

 1987年生まれの松田小牧さんは、2007年に防衛大学校へ入校。2011年に卒業後、幹部自衛官を目指して陸上自衛隊の幹部候補生学校に進学したが、ほどなく中途退校の道を選んだ。現在はフリーの編集者・ライターとして活動するほか、出版社・月待舎の代表を務めている。

 当時、学生の約9割を男性が占めていた文字通りの「男社会」に、なぜ松田さんは飛び込んだのか。そして、道半ばでキャリアを転換した理由とは——。(全4回の2回目/つづきを読む)

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防大生時代の松田さん(本人提供)

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「30歳からは首から上だぞ」と引き留められた

——防大はとにかく体力勝負。女性であることをマイナスに感じる場面が多かったそうですね。

松田小牧さん(以下、松田) 「これだから女学(じょがく)は」とよく言われていました。「女学」は「女子学生」の略です。あとは、「女なんだからわきまえろ」とか「邪魔」とか「要らない」とも。

 でも、防大に女子を受け入れると決めたのであれば、女子学生自身が努力することはもちろんですが、学校側には「なぜ女子を必要とするのか」の説明責任があるんじゃないでしょうか。当時はそう思っていました。

 いまはそのような苦しい思いを持っている女子学生は減っていて、本当によかったと感じています。

撮影=橋本篤/文藝春秋

——女子のリーダーは求められていないと感じたんですね。

松田 そうですね。すっかり卑屈になってしまって、指揮官になる未来が見えなくなっていました。

 幹部候補生学校を卒業して1年後には3尉になり、階級で言うと約18万人の部下を持つことになります。当時は自信が湧かず、そんな中途半端な状態で部下を持つことを潔しとしないという感覚がありました。

防大4年生のときの松田さん(本人提供)

 退校を希望した時、女性自衛官から「陸自は30歳までは首から下だけど、30歳からは首から上だぞ。お前はそこから活躍できる」と引き留められました。いま活躍している同期を見ていると、あのときの言葉がよく理解できるのですが、当時はその苦しい状態をあと8年続ける自信がありませんでした。

 その一方で、「この環境が変わらない以上、同じように悩む女性が後を絶たないはず」「一旦外に出て、自衛隊のあるべき姿を考え、同じように悩む女性自衛官の力になりたい」という思いも強く持っていて、「辞めさせてください」と土下座で頼み込みました。

——幹部候補生学校を辞めた後、どうされましたか?