「加害者のその後」を追い始めたきっかけ

――山﨑さんは、Bと同い年(1971年生まれ)ですね。

山﨑 はい。事件が報じられたのは、平成最初の年の1989年、高校2年から3年にあがる春休みのことでした。被害者の女子高校生は17歳だったので、(学年は異なるが)同い年の高校生がなぜこんなことになってしまったのかと思いました。

 主犯格のAは僕の1つ上で、監禁場所の家のCは1つ下ですから、同世代の事件といえます。

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――もともとこの事件に興味があったのですか?

山﨑 いや、実は事件のニュースを見た記憶はあまりなくて、詳細を知ったのは、それから11年後のことです。大学を出た後、テレビの制作会社に入り、28歳の時に「ニュースステーション」に出向になりました。2000年のことですが、西鉄バスジャック事件など「キレる17歳」という言葉が生まれるくらい、17歳前後の加害者による少年事件が起きて、話題になりました。

 その時、同僚からコンクリート詰め殺人事件のことを聞きました。それで、加害者は主犯格のAを除いて、すでに少年院や刑務所を出ていることを知ります。

 

事件当事者と親に取材して報道番組で放送

――どのように取材を深めていったのでしょうか?

山﨑 まずは事件の裁判資料や警察の捜査資料などを読み込むことから始めました。それから事件現場であるCの家の周辺の取材や、事件の当事者、その親を取材してまわりました。また遺族にも取材の申し込みの手紙を出しましたが、被害者の父親に公衆電話から電話をいただき、お断りの返答がありました。

「ニュースステーション」では、犯罪に加わり少年院に行ったFや、監視役のDの母親が事件を振り返るインタビュー映像で構成し、VTRの最後は被害者の父親の「自分の気持ちは当時と変わらない。加害者に対する感情も変わらない」という言葉を字幕で見せました。

――その時、Bに直接の取材はできなかった。

山﨑 そうですね。ところが放送から4年後の04年、Bは知人男性を暴行・監禁する事件を起こし、逮捕されます。事件の被害者を取材すると、Bはコンクリ詰め殺人事件について、自慢げに話していたといいます。

写真はイメージ ©nns23/イメージマート

 拘置所に勾留中のBに手紙を送ったり、面会の取材をしたりしました。Bの母親にもインタビュー取材し、その模様は「報道ステーション」で放送されました。この時も、放送後に「刑務所は税金の無駄」とか「番組スポンサーの商品はもう買わない」など100件以上の批判の声が来ましたけれども、ぜんぶ読みました。世の中の空気が、そこに表れていますから。