1989年に東京・綾瀬で起きた「女子高校生コンクリ詰め殺人事件」。複数の少年が女子高校生を40日間にわたって監禁し、強姦・暴行のすえに殺害した事件である。

 1月に刊行された『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』(文藝春秋)は、北海道放送報道部デスクの山﨑裕侍氏が6人の加害者のその後を追ったノンフィクションだ。著者である山﨑氏に話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)

山﨑裕侍氏

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準主犯格Bの再犯と孤独死

――山﨑さんは、準主犯格のBが、出所後に再犯事件を起こし、最後はアパートのトイレで孤独死するまでを取材しています。Bには、再犯で逮捕された時、拘置所で面会します。

山﨑裕侍氏(以下、山﨑) 面会室に現れたBは、風貌はどこにでもいるヤンキーでした。ただ、目や表情は寒気を感じさせるような不可解な感じでした。Bは、「コンクリ詰め殺人事件」で刑務所に8年いる間に拘禁反応(精神疾患)が出たようで、被害妄想が強かった。そのためなのか、何を考えているのか分からない感じでした。

――そんなBも出所後、すぐに就職しています。バブル崩壊のあおりで就職難の時代にあって、元受刑者がすんなり就職できているのは意外でした。

山﨑 Bは刑務所で複数の資格を取り、プログラミングも独学で習得していました。彼は99年8月に刑務所を出るのですが、すぐにコンピューター関連の企業に就職し、翌年にはIT系の派遣会社に転職します。月に40万円もらうこともあったと聞きます。

 しかし、そこも2003年に退社します。派遣先の社員たちに事件のことが知れわたってしまい、ここにはいられないと思い込んで辞めてしまうんです。

 彼からの手紙には「現場で『Bは前科者』だとか、聞こえよがしに旧姓(2000年に改姓)を呼ばれたり」したと書かれていました。そこで、僕は派遣先の会社を取材しましたが、そんな話は聞いたことがないという。取材の感触としては、僕は会社の証言の信憑性は高いと思っています。だからBの被害妄想なのかもしれない。

 けれども、「2ちゃんねる」などネット上にBの情報が出回っていたのは事実です。Bはそれを知っていて、職場でも皆に知られていると感じた。そういう意味では、彼はネットで広まった情報によって追い詰められていったと言えます。

――その後、Bは懲役4年の判決を受けて、再び服役します。それからはどんな生活を?

写真はイメージ ©AFLO

山﨑 Bの義兄によると、出所後の彼は仕事に就くこともなく、生活保護を受けながらアパートに閉じこもっていました。近くに住む母親が3食分の弁当を毎日、そこに届けていた。また妄想も酷くなっていたようで、母親は弁当に薬を混ぜていたと聞きます。

 そうした生活の末に2022年の夏、51歳になった彼はアパートのトイレで倒れて、そのまま死んでいるのを、いつものように弁当を届けにきた母親に発見されます。

 結局、Bはコンクリ詰め殺人事件の被害者に償うことはなかった。刑務所の中で更生に向けた教育や妄想の治療がされていたら、Bのその後は違っていたかもしれません。