名門高校をドロップアウトし、食パンにマヨネーズを塗って飢えをしのぐフリーター生活。どん底にいた西村光太郎氏の人生を劇的に変えたのは、なんと黎明期の出会い系サイトだった。

 出会った相手は、世界トップレベルの大学院出身の超エリート「箱入り娘」。彼女との結婚を阻む“厳格な義母からの最後通告”が、29歳のフリーターを「東大医学部(理科III類)合格」という無謀すぎる挑戦へと駆り立てていく。愛とコンプレックスの相乗が起こした奇跡の一部始終に迫る。

精神科医の西村光太郎氏

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アラサーで代議士秘書を失職、さらに彼女からは二股をかけられ破局

――高校中退後、西村さんは大検を取得し、早稲田大学へ入学したと伺いました。

西村 そうですね。私が19歳~20歳のとき、ちょうど1987~88年くらい、バブルのタイミングで、つい最近亡くなった父の羽振りがとてもよくなった時期があったんです。「お前も勉強はできるんやからプラプラしとらんで大学にいったらどうや?」なんて言われて。

 高2までは単位も取っていたので、3ヶ月の準備で大検が取れて、早稲田大学を受験して合格しました。父は、仕事で大物政治家とも付き合うような人でしたが、学歴は高卒でコンプレックスが強かったんですよね。「東大、京大、一橋、早稲田、慶應が行く価値がある大学」などと私が中学生の頃から呪文のように話していました。一方で自身が学歴と無関係に成り上がってきたという自負もあったでしょうから、父の私に対する当時の心境は複雑なものがあったでしょうね。亡くなった今となって思うことではありますが。

――早稲田大学のキャンパスライフはいかがでしたか。

西村 同級生と少し年齢は離れていたけど、変わった人が多くて、楽しかったですよ。そういえば、その頃、父の事業の調子が良く、実家は8LDKの豪邸になっていたんです。なので、学費と生活費は出してもらえたし、自分は塾講師や家庭教師で稼いでいたので、そのぶんは合コン等に費やしていました(笑)。50回くらいは合コンをしたんじゃないでしょうか。

――高校中退、引きこもりのような生活から早稲田大学に入学し、大学生活を謳歌……。卒業後はどのような仕事に就かれたのですか。

西村 父の人脈繋がりで、国会議員の代議士秘書をしていました。学生時代から永田町の議員会館で働いていたんです。

 その後、その代議士の先生が1998年に亡くなってしまって、またフリーターの塾講師、家庭教師になりました。その頃、長く交際していた女性がいたのですが、うだつの上がらない私に嫌気が差したのか、二股をかけられた挙句、一方的に別れを告げられましてね……。落ち込みました。それが32歳くらいのときの出来事です。