貧しいフリーター生活から猛勉強の末、38歳にして日本の最高峰・東大医学部(理III)の門を叩いた西村光太郎氏。しかし、念願のキャンパスライフの先に待っていたのは、「年齢」や「経歴」を理由に露骨にはじかれるエリート医局の“冷たい壁”だった。

「東大が掲げる『多様性』なんて完全に欺瞞です」

 そう憤る西村氏の運命を変えたのは、四国の病院で出会ったベテラン医師からの「君は精神科医に向いている」という一言だった。自身の壮絶な生い立ちとトラウマが、治療者としての武器へと変わるまでの道のりに迫る。

ADVERTISEMENT

精神科医の西村光太郎氏

◆◆◆

2回目のキャンパスライフ

――2回目のキャンパスライフですが、東京大学での日々はどうでしたか。

西村 非常に濃厚でした。「幼い頃からよい環境で育った子がきちんと勉強をするとこうなるんだな」という学生がたくさんいたのが印象的です。特に駒場キャンパス(1、2年時)では、文系の学生とも交流があったので、「こんな子が将来官僚等になるんだろうなぁ」という人もたくさんいました。それまでの私の人生に欠けていた部分を見ることができた気分でした。

 そのなかで、過労死訴訟などで有名な川人博先生のゼミに御縁をいただきました。先生自身は弁護士ですが、医師の家系のお生まれで、医師がおかれた労働環境などにも詳しい方で、変わり者の私の経歴を面白がってくれたんです。学生責任者にも抜擢していただいて、この上なく恩義を感じています。今でも先生に飛び込めと言われたなら刀の山、油の鍋であろうと躊躇はしません。

――東京大学の医学部は進級するだけでも相当真面目に勉強をしないといけないと聞きます。

西村 東大はシケプリ(試験対策プリント)が充実しており、“ちゃんと勉強に励んでいれば”留年はしないようになっていたと思います。家庭の収入の柱だった妻から「生活費はいいけど、大学の活動でかかる費用は自分で出してね」と言われていたので、留年はしないようにと頑張って勉強しましたね。

――生活費は出さなくて良かった。とはいえ、東京大学医学部で勉強を重ねながら、アルバイトで大学関係の費用を捻出するとなると相当大変そうです。