阪神大震災のときに山口組は何をした?

 震災が起きる前年の秋、偶然にも本家の邸内に井戸を掘ったことが、山口組の震災支援のきっかけとなりました。この井戸があったから、震災直後、近所の人たちに食料と水を配れたのです。

 震災の翌日から、本家の前に人が並ぶようになりました。午前と午後に、本家内でかき集めた支援物資を配給しました。1日あたり2000人ほどの方が並ばれたと聞いています。このときは、本家にあった非常食など、とにかくあるものしか配れませんでした。この状況を直参の人たちに話したら、急いで物資を送ってくれました。話を聞きつけた他団体の人たちも物資を送ってくれたそうです。

 もっとも、神戸の街が破壊されていましたから、物資を運ぶといっても簡単ではありません。車が通行できませんから、モーターボートで港まで運び、あとはバイクや人力です。ヘリコプターという手段さえ使いました。ちなみに、支援物資の中で、街の人たちから「重宝した」といわれたのが、生理用ナプキンと粉ミルクだったそうです。

 結果、震災があった1月17日から1月末まで配給を続けることができました。なぜ1月末までかというと、この頃になると公的物資が入ってくるようになったからです。だから、山口組は「余計なことはせずに行政に任せる」という判断をしました。

 もっとも、本部前配給が終了した後も、被災した人たちが避難している「避難所」に、若い者が「必要なもの」の注文取りに行っていました。避難所は、学校、保育園、体育館、弁護士会館まで、ありとあらゆる場所にできており、人が住んでいたのです。そうした避難所毎にニーズ別リストを作成し、物資を配ったと聞いています。