彼らは断水時に総本部内の井戸水を組み上げて市民に配り、握り飯の炊き出しも行いました。全国の傘下組織から物資が届くと、総本部前で行列ができるほどの配給体制が整いました。これらの救援活動は総本部の指示ではなく、当時の組長・渡辺芳則も自ら参加し、「人間としてやるべき行為」と述べています(NEWSポストセブン 2025年1月17日)。

 さらに、こうした回想を裏付ける出来事がありました。

ある神戸市民の声

 筆者が福岡で葬祭会社の夜間コールセンターに勤務していた時、震災当時、神戸市内の住人だった方に話を聞きました。

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 もう、(震災直後)街はビルが倒壊して瓦礫の山だったのです。ケガ人も救出しないといけませんが、町内では治安維持という問題への対処に頭を悩ませていました。

阪神大震災時の神戸の街 ©getty

 話し合いの結果、山口組の本部に(町内の人が)数人で出向き、自警団をしてくれませんかと、お願いしました。夫もお願いに行くグループに入っていました。そのときに、山口組本部に伺った住民たちに、渡辺芳則親分(五代目山口組組長)が直接会ってくれて、自警団を快諾して下さったと聞いています。だから、神戸の街では、火事場泥棒が出なかったのではないでしょうか。

 その後に発生した東日本大震災でも、ヤクザは救援物資を持って被災地に入っています。

 これは当時、筆者が六代目山口組の枝(傘下)の組長から聞いた話ですが、「警察の指導があったようで、救援物資は受け取ってもらえなかった」といいます。「だから、救援物資が積まれていたところに、こそっと置いてきた」と回想していました。

 大震災の時は、官民問わず、救援物資は、被災された方にとってはありがたいはずです。大阪から東北までトラックを飛ばして物資を届けた組長や若者たちの気持ちは察するに余りあります。