「売名行為とか、後でロクなこと言われへん」
温かい食事を振舞う「屋台村(本家ではこのようによんでいた)」は、本家前配給の後、最も被害が大きかった栄の公園などでおこないました。
司忍親分が引き続き食事配給できる場所を探した結果、ここに決めました。まずは公園に山積みになったゴミや瓦礫を撤去することから始め、2月初旬には稼働し始めました。ここが一番大きく、他にも各所に屋台村ができました。
屋台はラーメンなど汁物が多く、1日に数千食提供したといいます。結局、この屋台村は3月末頃まで続きました。神戸市民の人たちから「やめないでほしい」という声に支えられて、屋台村は1カ月ほど休みなく食事を提供し続けたのです。山口組のボランティアは、役所と違って機動力がありましたから、公的な支援が行き届くまでは、被災した方々のお役に立てたのだと思います。
こうしたボランティアに対して、組内でも「余計なおせっかいになりかねない」「売名行為とか、後でロクなこと言われへん」というむきもありました。
たしかに、そういう可能性があったことは否定できません。山口組本家の前に人が並ばなければ、配給はしていなかったかもしれません。しかし、実際には、震災直後から多くの人が本家前に並びましたし、食料や水を受け取った人たちから感謝の言葉を頂き、喜んでもらえました。本家は押し売りをしたわけではないのです。阪神淡路大震災の際の様々な支援活動は、意図的ではなく、自然発生的になされたと思っています。
当時の状況については、岸本組(山口組の二次団体)野元信孝組長も山口組の機関誌に寄稿していると、NEWSポストセブンが報じています。