充電に一苦労、ホテルは満室
長期戦になることを覚悟し、私は空港内のエリアを移動してコンセントを探すことにした。ゴミ箱横の狭いスペースで、韓国人のおばあさんとコンセントを融通し合いながら、手持ちの電子機器の充電を満タンにしていく。
ロビーにある小さなカフェでは、店員さんがまったく焦る様子もなく、オーダーされたカフェラテを作り、パンを温めなおしていく。いつ食料不足に陥るか分からないため、私も水、スニッカーズ、パンなどを購入した。ゴミ箱の横で立ちながらパンを食べる。
日本にいる家族からの連絡で、さらに詳しいニュースを知った。翌3月1日のドーハ~羽田のJAL便が欠航となったこと、カタール航空はカタール領空閉鎖が解除され次第、飛行機の運航を開始すること。
電子掲示板を見ると、ムンバイ、バンガロール、デリーなどインド行きの飛行機がキャンセル表示となり始める。ほかのフライトの欠航も時間の問題だと思い、空港ホテルを検索するが、既にソールドアウト。
午後4時、乗る予定だったウィーン便の欠航が決まる。旅行会社、保険会社に電話をするが、繋がらない。カタール航空のカウンター近くに、「Quiet Room」という休憩スペースを見つけ、そこで空港泊することにした。
早めの夕飯を取ろうとバーガーキングに行くと、枕とブランケットがもらえるという情報を入手。航空会社のカウンターに向かうと、旅行客が必死の形相で家族の分を確保しようと手を伸ばす姿があった。体格が良い人も多く、全力でチャレンジするも私はブランケットの奪取に失敗。すごすごと戻ってきた。その後も何度かトライし、ようやく最後の1枚だというブランケットを確保したのだった。
空が暗くなっていくのと同時に、空港内も冷えてきた。私もパーカーのフードを被り、コートを着て横たわったが、それでも寒かった。加えて、煌々と照らすライトの明るさ、通路での騒がしい話し声、時々携帯から鳴るアラート音……。なかなか眠りにつくことはできなかった。
日本人のLINEグループが発足
3月1日。夜中の2時半ごろ、通路で人がガヤガヤと話す声で目が覚めた。急いでカタール航空のカウンターに走ると、「今夜のホテルのブッキングをするからパスポートとボーディングカード(航空券)を持ってきて」と伝えられる。
数名の職員で、数百人のパスポートをひとつひとつ確認していくので、自分の分が後回しにされないよう必死でアピールをする。
「Please have a seat」と声をかけてくれた職員に、「去年の6月も攻撃がありましたよね?」と尋ねると、「Almost same」と笑っていた。「市内は安全なの?」と聞くと「Yes」と返答があった。現地のスタッフにとってこうした騒動は日常茶飯事で、まったく動揺がないようだ。
2時間が過ぎたころ、カウンターに名前を呼ばれ、私が泊まるホテルが決まったと知らされた。昨晩受け取ったブランケットを被ったまま、周りにいた日本人と空港の出口を目指す。ゲートの外に出ると、ホテルへ向かうバスを待つため、ものすごい人だかりができていた。スマホの通知を見ると、「カタール脱出‼」という日本人のLINEグループが発足し、招待されていた(当初は50名ほどだったLINEグループは、3月2日19時現在、120名のメンバーがいる)。

