隣に座る男性たちは、イランの爆撃のニュース動画を大音量で流している。
けたたましいアラーム音とともに、スマホに空爆の危険警報も流れてくる。
“戦争の真っ只中にいるんだ”という気持ちが現実となってきた。防空壕に逃げていた戦時中の人々の思いが、痛いように分かった。
「1階だから、爆撃の可能性は比較的低い」
「Attention, please.」
そんななか、午前9時ごろにホテルのスタッフがやってきて、おもむろに説明を始めた。歩いて10分ほどのホテルに、50室の部屋が確保できたという。そのアナウンスを聞いて、周りは一斉に立ち上がった。外を歩くというリスクもある上、この人数を収容できるのだろうか……。日本人メンバーも半数が行ってしまったが、私はその場に残ることにした。ぎゅうぎゅう詰めだった地下のシェルターはだいぶ広々としたので、壁際に移動し、足を伸ばせるようになった。
午前9時半ごろ、高市首相が自衛隊に、中東地域に暮らす邦人の救助要請を出したというニュースをネットで見た。日本からドーハまで、直行便でも10時間はかかる。この地下室で待っていたら助けは来るんだろうか。家族と会える日はもう来ないのだろうか。私がノートに書いた記録がどこかに役に立てば、と写真に撮って家族に送りながら、涙が込み上げてきた。
「Attention, please.」
ちょうどそのタイミングで、再びスタッフのアナウンスがあった。タクシーで20分ほどの距離にあるホテルに、75室の部屋が準備できたという。この部屋数なら、受け入れてくれるかもしれないと思い、残った日本人と一緒に、地下のシェルターから出ることを決めた。
ホテルのレセプションで記名をして、Uberのアプリでタクシーを呼んだ。5分ほどでタクシーに乗り込み、街中を20分ほど走った。台数は少ないが街中は車が走っており、ベビーカーを押す女性の姿も見えた。タクシーのドライバーは至って平常通りという様子だった。
午前10時過ぎにホテルに到着した。航空会社が手配してくれたため、1泊分の宿泊費、翌朝の食事は無料で提供されるという。案内された部屋が1階だったことから、爆撃の可能性は比較的低いと説明された。清潔なホテルの部屋でバックパックを下ろして、いつからか続いていた耳鳴りはようやく収まっていった。
バックパックひとつで避難。今朝も空爆警報が……
そこから1日半もの時が経つ。未だ領空が閉鎖されており、職員の安全確保のため、空港職員も出勤していない。そのためキャリーケースは空港に預けたままだ。
バックパックひとつで避難してきたが、外へ出るのは危険を伴うため、足りない衣服や食事などはデリバリーで届けてもらっている。アプリで頼むと、スーパーの食料品から衣服、レストランの料理まで、バイクや車で届けてくれるのだ(旅行者の中には近くのスーパーなどへ買い出しに行く者もいる)。今朝も空爆警報がスマホに届き、わずかな物音が空爆の音ではないかと怯えながら、ホテルの部屋で過ごしている。
なんとか情勢が落ち着き、領空閉鎖が解除され、日本へのフライトが再開する日まで、私は生き延びていきたいと思う。
(現地時間:3月2日午後7時執筆)
