「十分にやり切った」と迷いなく言える幼少期

 健介は身長こそ大きくなかったが、同年代の子どもと比べると、体の力は秀でていた。そうなると、親としては先のレベルを見せたくなるが、私自身は「今、そのとき」を大事にしてきたつもりだ。階段を二段、三段と飛ばしていくのではなく、一段一段、しっかりと踏み上がっていく。

 親の贔屓目もあるかもしれないが、その年代で大事だと思われていることは、体も心も経験できたように思う。変に大人びたところもなく、子どもらしい無邪気さがあり、何より友達が多かったのが親としては嬉しいことだった。

 子育てをしている最中は毎日が慌ただしく、本当に大変なものだが、過ぎ去ってしまえば、一瞬のようにも感じる。その一瞬は今しかなく、「あのときにあれをやっておけば良かった」と後悔しても、時間は返ってこない。

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 近藤家の場合は、元気いっぱいな健介のおかげもあり、「もう十分にやり切った」と迷いなく言えるぐらいの幼少期をともに過ごすことができた。

卒業アルバムのタイトルは『ぼくの夢』

 小学校の卒業アルバムを見返すと、健介は『ぼくの夢』というタイトルでプロ野球選手への想いを真っすぐに書き記している。一部を抜粋して紹介したい(原文ママ)。

「ぼくの将来の夢は、プロ野球選手になることです。四才のころからグローブやバットをにぎりました。休みの日には、家の前で父とキャッチボールをやっていました。やっているうちに野球はとても楽しいスポーツだと思うようになりました。それから小学校に入りました。その時は、父が野球をおしえている中学校につれていってもらい、いっしょにやらしてもらいました。

 小学三年生の一月ごろにぼくは、泉谷メッツに入りました。それからは、土日の休みの日になるのが楽しみでした。春にやった緑区の大会で優勝しました。その時もらった金メダルは、すごく光って見ました。それからぼくたちは練習してどんどん強くなっていきました」

小学6年生時の卒業文集

 小学生らしい文章であるが、野球が好きな気持ちは十分に伝わってくる。