――熊本にはご両親も住んでいましたが、そちらには避難できなかったんですか。

井上 両親の家も全壊していて、うちよりもひどくて。両親たちはそのエリアの避難所に避難してました。それに両親のところに行こうにも道路が分断されていて、どんなに迂回しても行くのが難しかったです。

――井上さんは熊本地震の状況について当時ブログで書いてましたが、そこに批判があったそうですね。

ADVERTISEMENT

井上 正直なところブログについた批判は読んでないんですよ。マネージャーから「批判されている」と聞いて知ったので。マネージャーからは「発信の仕方を考えたほうがいい」と言われたけれど、こちらは震災があってご飯もないし、お水もない。そんな時にどう思われるかなんて、どうでもいいじゃないですか。結局どう思うかなんてその人の勝手なわけで。その時くらいから人にどう思われるとか、全く気にしなくなりましたね。結局、いいことも悪いことも、その人が、その人の視点で言っているだけなので。私がそこを変えることはできないので。

筆者撮影

大阪暮らしを経て子供の希望で再び熊本へ

――熊本地震後に、一時大阪に引っ越しをされたそうですね。

井上 震災から1か月がたっても復旧の目途が見えなかったんです。家は全壊しているから、解体とかそういう作業になる。道路の復旧も自衛隊が来ない限りは難しいけれど、それがいつになるかは誰にもわからない。

 あと、何もない状況でもずっと揺れている感覚になるんです。それで精神的にまいってしまう。一緒にいた友達家族も東京に帰るというので、私たち家族もどうするか決めようと話し合っていた時に、知り合いの大阪の方が「うちにしばらく来ないか」と言ってくれて。子供たちが学校に通うためにも、大阪に1年ぐらいいました。

――ただ、そこからまた熊本に戻るんですね。

井上 子供が「お母さん、熊本に戻りたい」って言ったんですよ。公園が狭かったんですよね。遊ぶ場所がない。あと、車も人も多いのも疲れたのかもしれないです。うちの子たちは山と何もないところで育ってるから。これはまずいなと思って熊本に戻りました。

 大阪から戻ってきたときには畑はなかったんですが、やっぱり畑をやりたいとなったので、畑ができるところに引っ越しました。今は野菜もかなり取れますよ。ただ、お米は作っていないから完全に自給自足というわけではないです。