明治41年、河南鉄道が現在の柏原市に玉手山遊園地を開園する。最寄り駅は石川の対岸、藤井寺市にある道明寺駅だった。駅から遊園地に向かうには、北にある石川橋まで大きく迂回する必要があった。
そして、駅と遊園地を最短距離で結ぶために造られたのが、玉手橋というわけだ。昭和3年、河南鉄道から改称した大阪鉄道(現在の近鉄)によって、玉手橋が架けられた。
戦後になると、管理は当時の国分町(現在の柏原市)に引き継がれた。平成10年、玉手山遊園地は惜しまれながら閉園したが、翌年には柏原市立玉手山公園として生まれ変わった。玉手橋は通勤通学のため道明寺駅に向かう人々を中心に、今も利用されている。
100年近く経った今も地元の人たちが行き交う
実際に玉手橋を眺めていると、早朝というのに多くの人が行き交っている。犬の散歩やジョギング、駅に向かっているであろう人など、地元の人たちに日常的に利用されていることがうかがえる。
橋脚は鉄道橋と同じぐらい立派なコンクリート製だが、橋桁は薄く、弓なりに少したわんでいる。橋脚と桁のアンバランスさは、ひょっとすると将来的には車道や鉄道を敷くつもりだったのかもしれないが、今となっては確認する術がなかった。
実際に玉手橋を歩いてみると、しっかりとアスファルト舗装されており、吊り橋らしくわずかに揺れる。橋脚の上部には意匠を凝らした灯りがあるなど、全体的に装飾が施されている。建設から100年近くが経過しているが、その優美さは現在に通じるものがある。子供たちがワクワクしながら遊園地に向かっていた姿が、頭に浮かぶ。
橋を渡って柏原市に入ると、住宅地が広がっていた。遊園地まではまだ遠い。玉手橋が架けられたとはいえ、駅から遊園地まで15分以上歩く必要があった。遊園地の閉園から30年ほどが経つが、痕跡ならまだ残っているかもしれない。往時の人たちの思い出を探すべく、少し歩いてみることにした。




