“浅草花やしき”に次ぐ、日本で2番目に古い遊園地

 玉手山遊園地を知らない方も多いと思うので、ここで少し情報を整理しておく。

 玉手山遊園地は先述の通り河南鉄道が明治41年に開園した。

昭和40年代半ばの玉手山遊園地(松永白州記念館提供)

 これは、江戸時代に開園した“浅草花やしき”に次ぐ日本で2番目に古い遊園地だといわれている。最盛期の昭和30年代には毎年数万人が訪れ、大阪府で有数の遊園地として賑わっていた。観覧車、チェーンタワーといった遊具のほか、日本で一番長いすべり台が売りだったという。

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園内マップ

 ジェットコースターなどはなく“絶叫マシーンは無いけれど…”というキャッチフレーズで差別化を図った。しかし、次第に客足は遠のいてゆく。玉手橋を設けたものの最寄り駅から徒歩15分という交通の便の悪さもあり、入場者の減少に歯止めがかからなかった。

「絶叫マシーンの出現の前に滑り台は無力」という説明が切ない

 河南鉄道が開園して以来、大阪鉄道、近畿日本鉄道(近鉄)へと経営が引き継がれてきたが、平成10年5月31日をもって閉園し、90年の歴史に幕を下ろした。翌年の平成11年 、敷地を所有する宗教法人からの要請もあり、柏原市立玉手山公園ふれあいパークに生まれ変わった。

 90年という長い歴史に幕を下ろし、現在は市営公園として整備されている玉手山公園。もう往時の面影はないかと思いきや、そこには予想を裏切る“濃厚な遊園地の痕跡”が眠っていた。

 続く【後編】では、予算の都合で「レッド」しか呼べなかったというヒーローショーの舞台や、かつての目玉だった「日本一長い滑り台」の遺構を探しに、いざ園内へと足を踏み入れる。

次の記事に続く 「これ、滑り台の跡じゃないですかね?」草木に覆われた山中で大発見…“日本で2番目に古い遊園地”に残った痕跡から発見できた“愛された遊具の正体”とは

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。