「自分がお金持ちだったらなにをする?」
この展開にピンときたかたもいると思うが、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』の出だしを髣髴とさせる。同作では、主人公ベネット家の隣の「ネザーフィールド」に独身で資産家のチャールズ・ビングリーが越してきて大騒ぎになる。ここでフェネル監督は念を押すように、キャサリンとヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)にこんな会話をさせるのだ。
キャサリン「自分がお金持ちだったらなにをする?」
ヒースクリフ「金持ちの男ならだれでもするようなことさ。でかい家に住んで、召使いをこき使い、妻をもらう」
これは『高慢と偏見』の、「男性に資産があって独身となると、妻を娶らねばならないというのは、世にあまねく認められた真理である」という有名な冒頭への目配せにも感じられる。
エドガーを準貴族から「成り上がり」へ変更
映画でもう一つ念押し的に出てくるのが、エドガー・リントンの出自設定である。原作では、彼はlanded gentry(土地持ちのジェントリー階級≒準貴族)であり、代々の地代と農地からの収益で暮らしている。治安判事だが、これは地元の名士から選ばれるもので生業ではない。
これが、なんと、映画では「布地の商いで財をなした実業家」という出自に変更されているのだ。これにはびっくりした。彼は「ニューマネー」、すなわち成り上がりものなのだ。当時のイギリスでは、働かずに地代で生きていくのがやんごとなく、商業・事業(医者・弁護士含む)で生計を立てる家は格下である。この設定は『高慢と偏見』で引っ越してくる独身男ビングリーとだいぶかぶる。父親が「北イングランドでの商い」(おそらく、当時急成長していた布地産業)で財を築いた一家なのだ。そのため、代々の地主のベネット家は「うちは財力は下でも格は上だ」と思っている節がある。
映画のキャサリンも「うちは(リントン家と違って)代々続く名家なのよ」と言い、父は「娘の相手として上流階級でないのは難点だが仕方ない」などと言ってやや見下す。
