変更点その5 子どもたちの不在

 最初に書いたように、キャサリン、ヒンドリー、ヒースクリフ、それぞれの子どもたちの第2世代は描かれていない。これに関しては、詳述するとかなりネタバレになるので、その事実だけを記すに留めよう。

変更点その6 ネリーの立場、媒介の役割

 原作では、ネリー・ディーンはアーンショウ家で生まれ育ち、のちに家政婦となり、結婚するキャサリンについて鶫の辻に入る。重要なのは、小説のほぼ全編が彼女の独り語りで成り立っていることだ。これも長くなるので別の機会に書きたいが、ともかくナレーターとキャラクターを兼ねる現代的語り手の先駆けでもあり、「信用できない語り手」の先駆者でもある。

『嵐が丘』ネリー

 要所、要所で彼女の行動がきっかけや誘因となって、人が去ったり、死んだり、狂ったりする。ネリーは物語のエージェント(媒介)の役割を果たしているのだ。

ADVERTISEMENT

 今回の映画では家政婦ではなく、上流の婦人のお相手をするコンパニオンという地位に格上げされている。学識のある助言者だ。

 爵位のある貴族の隠し子らしく――ここにも血統の断絶があるが――その自分が自作農の家でコンパニオンをさせられているのだから、折々に心の屈折をにじませる。「コンパニオンは召使いではありません。貴婦人です」と強く言い返す場面もある。

油断がならないネリーの「悪意」

 それに加えて、キャサリンとは子どもの頃から共に荒野を駆けまわって育った仲なのに、ヒースクリフの登場で親友の座を奪われたように感じ、嫉妬心を燃やすカットもある。

 こうした愛憎半ばする人物をベトナム系アメリカ人のホン・チャウが絶妙に演じている。アジア系俳優の配役を意外に思うかもしれないが、当時の大英帝国はインドを実質的に植民地化しており、東南アジアの港にも交易拠点を築きつつあった。ネリーをそのような帝国主義の落とし子として解釈したのだろう。

『嵐が丘』

 映画や舞台版では、ネリーの「信用できない語り手」像がなかなか描出されないのだが、今回のネリーは歴代映画のなかで最も油断がならない。これまで『嵐が丘』論では、この家政婦にして語り手の「悪意」について論じられてきたが、フェネルの映画はそれに対して一つの答えを出している。つくづく、ホン・チャウと、子ども時代のヒースクリフを演じたオーウェン・クーパーでもっている映画だと思う。