永久的奴隷化の恐れ

 古来より、戦争における敗者の末路は悲惨であった。ポエニ戦争(紀元前264~同146年)でローマ帝国と地中海の覇権を争った海洋商業都市カルタゴは、敗北後には物は掠奪され人々は奴隷にされた。

「神殿を包んで燃えあがる火の中に身を投げ、奴隷よりも死を選んだカルタゴ人も少なくなかった」「陥落後のカルタゴは、城壁も神殿も家も市場の建物も、ことごとくが破壊された」(塩野七生『ハンニバル戦記 ローマ人の物語Ⅱ』)。

 1453年にオスマン帝国を率いるメフメト二世に対して徹底抗戦の後に陥落したコンスタンチノープル(現:イスタンブール)は、三日三晩にわたってこれもオスマン兵士たちによる暴行と掠奪のほしいままとなった。

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 20世紀に入ってからも第一次大戦では、敗れたドイツは天文学的な金額の賠償金を課せられ戦後復興どころではなかった。この時の余りにも過酷な賠償要求を、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは「クレマンソー氏(引用者註:フランス首相)のカルタゴの平和」と表現している(ケインズ『平和の経済的帰結』)。

 日本の歴史においても、源平の合戦、戦国時代、そしてつい80年ほど前の戊辰戦争でも、敗者の扱いは罪人同様であった。

 日本も同じ目に遭うのであろうか。

 ようやく戦争が終わったという安堵感も、そう長くは続かない。戦いに敗れた日本は、どのような扱いを受けることになるのか。思い浮かぶのは戊辰戦争時の江戸城無血開城ではなく、大坂夏の陣での大坂落城後の狼藉と掠奪でしかない。終戦、そして敗戦という現実に直面した人々の胸の内は、安堵から間もなく深い懸念へと変わっていった。

 日銀の調査部は玉音放送から6日後の8月21日に、「ポツダム宣言を前提とせる日本経済の将来構図」という調査報告をまとめている。

 ポツダム宣言には軍国主義の永久的除去、日本の領土は北海道・本州・四国・九州と諸小島に限定、賠償負担が可能な水準の経済力維持、これら条件が達成されるまで連合国軍が保障占領を行う、などが記されている。

 ただでさえ空襲で生産設備が大きく傷ついたうえに、労働力は多くが徴兵に取られて減少したままだ。さらに植民地・外地の割譲で領土は4割以上減少する。軍需産業の民生産業への転換には時間を要するだろうし、そもそも民生品の需要も終戦の混乱で見通せない。