6/6ページ目
この記事を1ページ目から読む
少年にくだされた罰は…
1967年4月13日、横浜地裁は検察が求刑した死刑を退け、無期懲役を言い渡す。理由は考え方が未熟な少年の犯罪であり社会復帰できる可能性があるというものだった。
この判決を不服として検察が控訴した結果、1968年11月17日、東京高裁は「拳銃を奪うという目的の下に綿密な犯行計画を立てていた点から、被告人はあらかじめ警察官の殺害までは明確に意識していないまでも視野に入れており、矯正は極めて困難である」として逆転死刑判決を宣告。
最高裁も上告を退け、死刑が確定した(1969年10月27日)。
1972年7月21日、収監されていた東京拘置所から、死刑施設のある宮城刑務所に移送され絞首刑執行(享年25)。
最期の言葉は刑場に入る前、教誨師に残した次のようなものだった。
最期の言葉は…
「僕は親不孝の許しを乞い、被害者の方の冥福を祈りながら静かに死んでいきます。でも、僕のような人間がこの社会から二度と出ないようにこの最後の辛さ、苦しさの心境だけは若者たちに伝えてください」